国家の主権者として、国民には議論する責任がある

憲法9条への評価はさておき、こうした「なし崩しの再軍備」に対する批判と警鐘は、木村と幡新の著作で相通じている。木村が『九条の何を残すのか』で中心に据えたのは、改憲を目指す自民党と、護憲派の代表格・朝日新聞の双方から頼られる憲法学界の権威、長谷部恭男(東京大学名誉教授)の知的怠慢への批判である。

自民党も左派・リベラル御用達のメディアも「国民的な議論」から逃げて、自らの思想に都合の良い「専門家共同体のコンセンサス」に依存しているというのが、批判の核心であろう。木村は「国民全体で、日本国憲法について議論しようじゃないか。そのための叩き台を自分が提供したい」と言っているのだ。つまり、自民党草案とはまったく別の方向で、改憲を前向きに捉えているのが木村の立場なのである。

そんなわけで、すべての左派・リベラルはただちに『九条の何を残すのか』を手に取るべきであるし、すべての保守・右派は『憲法と自衛隊』に目を通してもらいたい。自分が左右のいずれにも偏らない中道だと自覚するかたは2冊ともぜひ――評者は「戦争に負けてよいはずがない」という立場なので、本コラムの大尾として幡新の檄を掲げる。

写真/shutterstock
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〈日本はアジアの数少ない独立国の1つだっただけでなく、ロシアを破り、アジア独立の希望の星になっていたのに、白人との決戦に負けて、多くの犠牲者を出し、独立を失った。その歴史的現実を棚に上げて、日本はアメリカやソ連のスパイに「騙された」のだ、「はめられた」のだと外人相手に主張したとしても、それは「騙される方が悪い」と言われるのが落ちで、むしろ見苦しい。

アメリカ軍が対日戦と戦後処理で色々と「やり過ぎた」(過ぎたるはなお及ばざるが如し)というのは本書の趣旨でもある(…)本書は、むしろ開戦の決断を下す政治指導者には勝つ責任があると訴える(…)そういう反省がなければ、日本は、敗戦後の刑事処分としての性格を帯びる憲法第9条第2項から本当の意味で釈放され、同条同項のイギリス権利章典化(人権規定化)を図り、自由の国になることはできないと考える〉【6】

なお、『憲法と自衛隊』は、防衛省・自衛隊、防衛大学校の改革を訴える論考【https://shueisha.online/articles/-/181997】を発表して大きな反響を呼んだ等松春夫(防大教授)が月刊誌『世界』(2023年9月号)に寄せた論考【7】においても、瞠目すべき1冊として挙げられている。

文/藤野眞功

【1】「戦前暗黒史観」は、1853年のペリー来航以来、約90年に及ぶ日本の近代化の道程を無視し、戦時下を含む満州事変以降の約15年間の「異常事態」を「戦前日本の常態」にすり替えている。

【2】衆議院・公式サイトより引用。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm

【3】評者は、名誉棄損の訴えについては是認するが、最高裁が下した「出版差し止め」には反対の立場である。

【4】自由法曹団『団通信』(2022年9月1日/1786号)より引用。
https://www.jlaf.jp/03dantsushin/2022/1128_1359.html

【5】木村晋介『九条の何を残すのか 憲法学界のオーソリティーを疑う』(本の雑誌社)より引用。

【6】幡新大実『憲法と自衛隊 法の支配と平和的生存権』(東信堂)より引用。

【7】等松春夫『なぜ自衛隊に「商業右翼」が浸透したか 軍人と文民の教養の共有』