[2022年2月26日]
amy_tatsubuchi2024/04/04
過去の名言を振り返ってみたり、反町くんの話題に逃げてみたりで、なかなか踏み込めなかったトピック、父の死は2022年2月26日。私たち家族は北海道のスキー場にいた。めったに鳴らない電話にざわっと胸騒ぎがして、倒れたとの第一報。数時間後には亡くなってしまうから、あまりにあっけなく現実のこととは思えなかった。お葬式での夫は過去最高最大に優しかった。昔パリの街角で彼がパパに遭遇した時も、「あ、お父さん!」と声をかけてきてご馳走してくれたと、父がうれしそうに話していた顔を思い出す。女だらけの姉妹に代わって棺を運び、親戚と老人に囲まれ泣いてる夫をみて、「このひとと結婚してよかった」と至らぬ妻の自分を懺悔。年をとってからの父は、荷物を運んだり車の運転が大変だから、若い子を書生さんのように連れて海外にいっていた模様。親族席にみたことのない若い男性たちが座っていて、「ところで、あなた方はどちらさま?」と聞きたい衝動を抑えながら式をすませる。最後に話した会話はなんだった?またいつでも会えると思っていたのに、人生ってあっけない。浮世離れしていて苦手な父だったけれど、精神的には大きなところで守られていたんだな。
[不思議ちゃんな父]
amy_tatsubuchi2024/04/06
自分の父親が普通とはちょっと違うのかも、と意識したのは8歳の時だった。家業を継いだ15代目の父は、アートと四次元の話ばかりする不思議なひと。「こんな変わった父親がいたら、私は結婚はできますまい」と枕を濡らした小学生の私。キャリアを築いて、きちんと自立した女性になろうと、この頃から女侍への道を走り始めていたのやもしれない。一方家のために尽くす古風な母親の期待は、長女の私にあることをひしひしと感じており、彼女は自分とは真反対のいわゆる「キャリアウーマン」ってサンプルを私に何かとみせた。そのサンプルのひとつが、集英社に就職して『non-no』編集部にいた親戚のはるちゃん。お絵描きと文章が得意で、ファッションとアート好きな自分は、絵本作家になるか編集者になるか?と子ども心に夢を膨らました。父親が変わりものゆえ、小学生から妙にしっかりしていた私。悩みや不自由はひとを強くするから、必ずしも悪いことではないのだ。いや、かつて人類が何もないところから道具を発明したように、不自由があるほうが、ひとは考え工夫し自己設計力は高まるのではないか。不思議ちゃんな父は幼少期の私の悩みの種だった。