生前のやなせさんは「報われないけど優しいおじさん」
――中園さんにとって、朝ドラの脚本は『花子とアン』(2014年度前期)以来、2作品目となりますが、今回の作品のテーマが決まった経緯を教えてください。
中園ミホ(以下、同) 朝ドラのオファーをいただいたときは、半分断ろうと思っていました。とにかく執筆量が大変で、朝起きたら息つく暇もなく執筆に追われるのです。1日1話のペースで書き上げなければならないので、お酒好きの私にとってはとても辛い日々です。
ただ、もし次に朝ドラを書くなら『花子とアン』と同じように、実在の人物をテーマにした“王道の朝ドラ”がいいなと思っていました。それで、題材を決める打合せで、「やなせたかし」さんの名前を口にしたところ、プロデューサーがリュックの中からやなせさんの本を出してきたんです。
小学生の頃、私はやなせさんと文通をしていたのですが、この頃、よくやなせさんのことを思い出していました。「やなせさんはこの世の中を見て、どんなことをおっしゃるだろう」って。制作チームとも意見が一致したことで、覚悟が決まりましたね。
――生前のやなせさんとはどういった経緯で文通をされていたんですか?
私は小学4年生、10歳のときに父を亡くしたのですが、やなせさんの詩集『愛する歌』を読んでファンレターを書いたのがきっかけでした。その詩集の中に「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね」という一説があって、その詩にすごく救われたんです。
――ドラマの中では登場人物の台詞にやなせさんの詩がかなり反映されていますよね。
やなせさんの詩集は繰り返し読んでいたので、ほとんど覚えているんです。ですから、脚本を書き始めると自然に出てきますね。やなせさんは69歳のときに『アンパンマン』でブレイクされましたが、その前から、絵本や詩集など素敵な作品を数多く残しています。
やなせたかしワールドを多くの人に知っていただきたいと思い、台詞やエピソードなど物語全体に忍ばせてますので、ぜひ見つけてくださったらうれしいです。
――生前のやなせさんにはどのような印象を抱かれていましたか。
文通を始めたころのやなせさんは、代表作がないことを気にしておられて、手紙にも「またお金にならない仕事を引き受けてしまいました…」とか書いてあって、愚痴っぽかったんです(笑)。
ただお会いするといつも「お腹空いてませんか?」と優しく声をかけてくださって、とても正直で、“報われないけど優しいおじさん”という印象が強かったです(笑)。
暢さんと出会わなければ、ずっと愚痴ってるおじさんで終わってたかもしれませんね(笑)。私は「はちきん(土佐弁で男勝りの女性の意)」と呼ばれたパワフルな妻・暢さんが、やなせさんの背中を押し、引っ張り上げたのだと思います。