逸脱行為としての戦力保持

幡新が提示した3つの解釈の中で、歴史的事実に近いと思われるのは順番の通り、その1「刑罰説」である。

〈軍、戦力保持の禁止は、国の主権制限であり、国という一種の法人の行為能力制限(…)この解釈では、一定の留保はあるものの、現実の日本の仮再軍備と日米安全保障条約は、それぞれ刑罰からの仮釈放と保護観察に当たる(…しかし…)本来、保護観察官と警察官は別々であるが、現実にはアメリカ軍が保護観察官兼警察官(世界の警察官=国連安保理常任理事国)なので、利益相反がある(…)保護観察や仮釈放条件の変更、解除について、保護観察官に利益相反があると、どのような手続も正常に機能しない〉【6】

写真/shutterstock
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この解釈に対しては、国家の自然権(戦力の保持)はそもそも制限され得るのか、という疑念もあるだろう。現在の憲法と日米安保条約を掛け合わせると、日本は軍備(およびそれに裏打ちされた外交力)を持つ権利を、アメリカによって制約されていることになる。

評者が示唆に富む選択肢だと感じたのは、幡新がふたつめに示した「平和的生存権の担保説」である。誰もが知る通り、イギリスは世界有数の軍隊を保持する国連安保理の常任理事国だが、じつはかの国は「平時に、王国内で、議会の承認なく、常備軍を設置、保持することは違法である」という法的拘束のもとに置かれているという。この事実は、日本ではあまり知られていないのではないか。

〈【評者註/イギリスにおける】平和的生存権の保障手続は、日本の自衛隊のような「仮」軍備どころか、正規の軍の設置と保持そのものを、例外的な暫定措置に位置付け、毎年の議会による承認手続と、5年おきの根拠立法の再立法手続を要求している〉【6】

つまりイギリスは、軍隊の設置と保持を原則的に禁止したまま、定期的な議会による決議(国民の総意の確認)を繰り返すことによって、「逸脱行為」として戦力を保持しているのである。こうしたイギリスの手続きに対して、政府による解釈変更だけで自衛隊の扱いを変えてきた日本は法的な「正統性」をあまりに軽んじてきたのではないか、と幡新は厳しく問い質している。