再評価の機運高まる加藤和彦
「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ、1967年)、「あの素晴しい愛をもう一度」(加藤和彦・北山修、1971年)、「タイムマシンにおねがい」(サディスティック・ミカ・バンド、1974年)、「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ、1967年)、「不思議なピーチパイ」(竹内まりや、1980年)、「白い色は恋人の色」(ベッツィ&クリス、1969年)、「家をつくるなら」(加藤和彦、1971年)……。
ある年代以上の音楽好きにとっては常識なのかもしれないが、日本のポップス史上に燦然と輝くこれらの曲は、すべて同じ人物によって作曲されたものである。
その人の名は加藤和彦、愛称「トノバン」。
1947年、京都に生まれた加藤和彦。
1965年に結成したザ・フォーク・クルセダーズで1967年にプロデビューすると、ファーストシングル「帰って来たヨッパライ」がいきなり、日本音楽史上初のミリオンセラー・シングルとなる283万枚の売り上げを記録する。
しかしザ・フォーク・クルセダーズは、翌1968年に解散。
加藤はソロとして活動しつつ、1971年にサディステック・ミカ・バンドを結成(1975年解散)する。「タイムマシンにおねがい」が収録されたセカンドアルバム「黒船」(1974年発売)は、いまだ“日本のロック史上最高の傑作”と評価する人も多い。
以降はソロ活動を中心に、期間限定で幾度か再結成した上記2バンドを含むバンド、ユニット、そして他のミュージシャンへの提供という形で数々の楽曲を発表。
2009年に他界するまでの間、日本のミュージックシーンをリードし続けてきた不世出の天才音楽家である。
ここのところ、その加藤和彦がにわかに盛り上がっている。
ドキュメンタリー映画の公開、インタビュー書籍の発売と、再評価の機運が高まっているのだ。
映画にも書籍にも、ザ・フォーク・クルセダーズ時代からの仲間である、きたやまおさむ、はしだのりひこを筆頭に、高橋幸宏、高中正義、坂本龍一、細野晴臣、泉谷しげる、吉田拓郎といった錚々たるミュージシャンなど、加藤和彦を取り巻く数多くの人物が登場する。
1970年代を中心に音楽業界とその周辺を盛り上げ、今に続く日本のサブカルシーンを形成したキラ星のような役者が揃っているが、その中心には常に加藤和彦がいたということがよくわかる。