提供するのが惜しくなり、自分でレコーディングした「あの素晴しい愛をもう一度」
加藤和彦が作った数々の名曲の中でも、特に長く聞き継がれ、歌い継がれているのが「あの素晴しい愛をもう一度」である。
この曲は、ザ・フォーク・クルセダーズが惜しまれつつも解散したのちの1971年、作詞・北山修(きたやまおさむ)、作曲・加藤和彦というフォークル中心メンバー二人の連名で発表された曲だ。
ザ・フォーク・クルセダーズはなぜあっけなく解散してしまったのか。空中分解したバンドの元メンバー同士がなぜ再びタッグを組むことになったのか。
その事情は、書籍『あの素晴しい日々 加藤和彦「加藤和彦」を語る』(加藤和彦 前田祥丈・著、牧村憲一・監修、百年舎)の中で本人が語っている。
元ザ・フォーク・クルセダーズの二人に楽曲制作を依頼したレコード会社は、できた曲を新人の女性フォークデュオ、シモンズに歌わせるつもりだった。
しかし、加藤が1日で作曲し、北山が1日で詞をつけた「あの素晴しい愛をもう一度」は、あまりにもよい出来栄えだったため提供するのが惜しくなり、結局、加藤・北山の二人でレコーディングし、リリースすることになる。
ザ・フォーク・クルセダーズ時代からのファンは喝采をもって迎えたが、頼んでいた曲を渡してもらえなかったシモンズやレコード会社は、内心、おもしろくなかったに違いない。
そこで加藤と北山は一計を案じ、「あの素晴しい愛をもう一度」は、のちにサディスティック・ミカ・バンドのヴォーカリストになる福井ミカ(加藤ミカ)と加藤和彦の“結婚記念”という体にして乗り切ってしまうのだが、それは完全に後付けの言い訳だったそうだ。
そのあたりの事情については、映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』(TOHOシネマズ シャンテほか全国で、5月31日より順次公開)の中で北山本人が詳しく語っている。