歌謡界に溶け込んでお茶の間に浸透したロックな曲『チャンピオン』
アリス14枚目のシングル『チャンピオン』は1978年12月5日に発売された。
ボクシングの防衛戦で、若き挑戦者に敗れ去っていく老兵の悲哀を描いた歌詞は、先日逝去した谷村新司作詞によるもの(作曲も谷村新司)。
1971年に東洋ミドル級チャンピオンになったボクサー、カシアス内藤をモデルとしているということも、当時からたびたび話題になっていた
オリコン1位を獲得し、TBS「ザ・ベストテン」でも1979年2月8日から3月1日にかけて4週連続1位に輝いた、アリス最大のヒット曲である。
ちなみにその4週における「ザ・ベストテン」の第2位はすべて、ゴダイゴの『ガンダーラ』。
『ガンダーラ』もいまだ語り継がれる名曲だが、『チャンピオン』のせいでどうしても1位を獲れず、1979年3月8日には両曲ともランクを下げている。
さらにちなみに、その3月8日の第1位は沢田研二の『カサブランカ・ダンディ』だが、同曲も翌週3月15日には2位に降格。
その日の「ザ・ベストテン」で初の第1位に輝いたのは西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A)』であり、それから5月10日まで怒涛の9週連続1位に君臨する。そんな時代だ。
話をアリスに戻そう。
アリスの『チャンピオン』がヒットしていた当時、僕は小学3年生。ちょうど歌謡曲やポップスに目覚めた時期であり、友達同士の会話に遅れてはいけないという意識もあって、毎週欠かさず木曜9時の「ザ・ベストテン」を観ていた。
谷村新司を中心として1971年に結成されたアリスは、フォークソング畑から出発しつつも、どことなくじめっとした日本の1970年代四畳半フォークとは一線を画す、カラッとしたサウンドで頭角を表し、当時黎明期だったいわゆる“ニューミュージック”界の中心的バンドとみなされていた。
……なんてことは、小学生当時の僕はまったく知らず、「ザ・ベストテン」に続々登場するアイドル歌手などと区別せず見ていたのだが、『チャンピオン』を初めて聴いた衝撃はかなり大きかったという記憶がある。
アリスは長い下積み期を経て、1977年にリリースした12thシングル『冬の稲妻』がスマッシュヒットして以降、アップテンポでロック色の強いサウンドを打ち出すようになり、『チャンピオン』はその路線の最たるものだったのだ。
小学3年生の僕にとって『チャンピオン』は、その数ヶ月前に大流行りした『銃爪(ひきがね)』(世良公則&ツイスト 1978年8月リリース)と並び、テレビのブラウン管を通して触れた、人生初のロックな世界だったのではないかと思う。
世良公則&ツイストの『銃爪(ひきがね)』は、「ザ・ベストテン」で1978年8月10日から同年11月9日まで10週連続1位を獲得している。
『銃爪(ひきがね)』も『チャンピオン』も、著しく男臭い世界を表現した曲で、日本の歌謡界にこうしたロックな要素が溶け込み、お茶の間に受け入れられつつあった時代なのだなということがわかる。