細野晴臣が大瀧詠一と出会うきっかけを作った中田佳彦
細野晴臣と大瀧詠一が初めて出会ったのは1967年の春先のこと。きっかけはもう一人の友人との出会いだった。
その前年の秋。立教大学のキャンパス内の待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。立教高校時代からの友人から、「経済学部にお前みたいに音楽にうるさいやつがいるから紹介するよ」と言われていたからだ。
やがて友人に連れられてやって来た男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それからお見合いのような形で、ボソボソと探り合うような会話が始まった。
「いまどんなの気に入ってるの?」
「うーん、ポール・サイモンなんか、けっこう」
おっ、こいつはできるな。
『ちいさい秋みつけた』『めだかの学校』『夏の思い出』などの作曲家、中田喜直の甥にあたる血筋に生まれた中田佳彦はギターが上手で、アメリカのソフト・ロック系にも詳しかった。
おたがいの音楽への関心が分かって意気投合した二人は、サイモン&ガーファンクルの研究をしたり、レコードを聴いたりする勉強会的なサークルを始める。ロック以外のさまざまな分野の音楽にも通じていたので、細野は中田という仲間を得て音楽のフィールドが広がったことを実感していた。
ある日のこと。そんな中田が「めちゃくちゃ凄いマニアがいるんだ」と、その友達を勉強会に連れて来ることになった。
「相当できる人物」と聞かされた細野は、自宅でどのように迎えたらいいのかと考えて、数日前に買ったばかりのシングル盤をステレオの上に目立つように置いた。