「ひとり甲子園」は姉の「やって」という一言で始まった
――すでに還暦を迎えられた柳沢さんですが、趣味などで卒業されたことは、何かあるのでしょうか?
車をぽんぽん乗り換えるのはきっぱりと止めましたね。僕はこれまで13台車を所持していて、3年に1回ぐらいのペースで乗り換えていましたが、今は同じ車に16年乗ってますね(笑)。
車雑誌の取材を受けたときに話したんですよ。「昔の車は人間が乗って転がしていたけど、今の車はコンピュータに人間が乗っているだけ」って。かっこよく自分の考えとして述べたんだけど、この言葉、実はとあるモータージャーナリストの発言を引用していて、あとで編集さんにばれちゃった(笑)。
――ドヤ顔で言っちゃったら恥ずかしいやつですね(笑)!
僕の人生は全部パクリなんですよ。「あばよ!」も別に僕オリジナルの言葉じゃないし、「ひとり警視庁24時」「ひとり甲子園」も全部誰かのものまね。
――とはいえ「ひとり警視庁24時」や「ひとり甲子園」は柳沢さんならではの唯一無二の芸だと思います。
昔から誰かのまねをするのは得意でした。たとえば「ひとり甲子園」は、高校野球の神奈川大会の決勝戦を観に行ったことがきっかけ。僕の姉が東海大相模が好きで、原辰徳さんとは同い年だったんですよ。
結果見事、東海大相模が優勝して甲子園の切符を掴んだその晩、自宅で夕食を食べているときに姉が「ブラスバンドの真似してみてよ!」って急に言ってきたんですよ。当時の僕はあまり野球に興味がなかったんですけど、見様見真似で仕方ないから机を叩いて、ブラバンの演奏を口ずさんだ。
そしたら姉のテンションが上がってきて、僕もノっちゃって原さんのお父さんである監督の原貢さんや応援団のものまねも披露して。あまりにヒートアップしたもんだから親父に「メシの後にしろ!」って怒鳴られちゃいました。今思うと「ひとり甲子園」はあれが最初でしたね。