マッチはヤンチャな男女から人気だった

劇中の髪型、愛車、セリフなどにマッチの影響が色濃く見られるムッチ先輩。“元ネタ”であるマッチ、こと近藤真彦も2月11日放送の「近藤真彦 RADIO GARAGE」(文化放送)内で「リアルタイムで見てなかったけど、奥さんに言われて後で見させてもらったら爆笑でした。これ俺だよな?って」と反応。

ムッチ先輩は当時流行のふんわりパーマ、いわゆる“マッチヘア”に、愛車はマッチ主演の『ハイティーン・ブギ』(1982年公開)で主人公の藤丸翔が乗っていたホンダのCBX400Fインテグラ(実際は改造したCBX550)、ナンバープレートはマッチの誕生日の「07-19」。

登場時の挨拶は「マッチでーす」を模した「ムッチでーす」、さらに「未来を俺にくれないか」や「お前が望むならツッパリもやめる」というセリフは、マッチの7枚目のシングル『ハイティーン・ブギ』(1982年発売)の歌詞の一部だったりと、小ネタが満載。登場のたびに昭和世代をニヤつかせている。

『不適切にもほどがある!』のポスター(撮影/集英社オンライン)
『不適切にもほどがある!』のポスター(撮影/集英社オンライン)

こうした反応からも80年代当時のマッチの人気ぶりをうかがえるが、実際はどうだったのか。ドラマの舞台となっている東京都葛飾区の新小岩ルミエール商店街を歩いていた50代の主婦は言う。

「マッチがデビュー作で演じたのは『3年B組金八先生』(第1シリーズ。1879~80年放送)の長ランを着た不良キャラ、星野清。そんなに目立つ役じゃなかったけど、共演者のトシちゃん(田原俊彦)、よっちゃん(野村義男)と一緒に『悪ガキトリオ』(後の『たのきんトリオ』)として人気に火がつきましたよね。

よっちゃんはあんまり人気がなくて、クラスではマッチ派とトシちゃん派にすっぱり分かれていて、特にマッチはヤンチャな男女から人気がありましたね」

人気絶頂期は多忙をきわめ、マッチは在籍していた明大中野高校に通うことはほとんどなく、平均睡眠時間は2時間だったという。

当時のインタビュー記事からマッチの多忙ぶりを見てみよう。昭和55年6月22日発売号の芸能誌「週刊明星」(集英社)では音楽バラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』の沖縄ロケに密着。2日間の弾丸ロケの合間の取材では、無邪気にこう答えている。

「週刊明星」(昭和55年6月22日発売号)で特集された沖縄ロケの様子
「週刊明星」(昭和55年6月22日発売号)で特集された沖縄ロケの様子

「1時間かかってロケ地のムーンライト・ビーチに着いたら、そく海で大あばれ。(中略)夜はちゃんと下見しておいたディスコへみんなと出かけて、12時過ぎまでヒゲ・ダンスの大フィーバー大会。次の朝は5時起きで、ちょっとキツかったあ」