事件は候補生たちを「一人前」の自衛官にするための訓練中に起こった。午前8時、渡邉被告を含めて約70人の候補生に教官や隊員約50人を加えた約120人が参加した訓練が始まり、同9時ごろから89式自動小銃の実弾射撃の「検定」を始めた直後のことだった。渡邉被告が突然3人に向けて計4発を発砲、教官と隊員2人が死亡し、1人の隊員が重症を負った。
教官や先輩に凶弾を浴びせた渡邉被告は、子だくさんの複雑な家庭環境で育ち、教師や大人を毛嫌いして歯向かうようなところがあったという。実家は岐阜県南西部ののどかな農村地帯にあり、事件発生当時の取材に近所の男性はこう答えていた。
「直杜くんは6人きょうだいの上から3番目のはず。一番上がお姉ちゃんで20代後半、あと、20代前半のお兄ちゃんと、高校生と中学生の弟がいて、一番下が妹さんだと思う。お父さんはトラックの運転手で、お母さんは結構若い印象だね。まだ子どもがちっちゃいときに引っ越してきたから、ここに住んで10年から15年くらいになるんじゃないか。
ただ、近所づきあいをしたくないのか、ゴミ清掃の集まりなんかにもまったく顔を出さないな。今、何人が住んでるのかはわからないけど、子どもがたくさんいるのは近所の人はみんな知っているよ。まだ男の子たちが小さいころは兄弟で田んぼをのぞき込んだり、庭先でよく走り回ったりしていたよ」
幼いころから渡邉被告を知っている同級生の母親もこう話していた。
「直杜くんと息子は保育園と小学校が一緒でした。ただ、保育園には直杜くんとすぐ下の弟さんが一緒に通っていたんですが、急に2人とも辞めたんです。あのご一家はお子さんが多くて生活もかなり苦しくて、小さい子どもたちは全員、児童施設に預けられたと聞きました。でも直杜くんが小学3年生になると戻ってきて、息子と同じ小学校に転入してきたんです。手当などが出るようになって、子どもを育てる余裕ができたから施設から帰ってきたと聞きました。そういう過去もあってか、直杜くんが先生や大人を毛嫌いしてるところは当時からあったようで、友達とは上手く接しても、先生とはよく言い合いをしたり、もめていたと聞いてました」