ロードバイクが趣味だった
岐阜県南西部で6人きょうだいの真ん中として育ったA容疑者は、小学3年までは施設で育ち、その後は親元に戻ったが、中学では不登校になり、やがて里親に預けられる。同地域の高校に入学後は里親のもとで暮らしながら、部活動やアルバイトなどにも励む充実した生活を送った。高校時代の親友が振り返る。
「Aはおちゃらけキャラというか、お笑いキャラというか、話し方も陽気でムードメーカーという感じでした。みんなにも好かれていたし、先生とも気軽に話す、本当に普通の生徒でしたよ。僕は小、中学も一緒だったのですが、仲良くなったのは高校になってからです。クラスが一緒になったことはなかったのですが、放送部で一緒だったのでずっと仲良くしていました。二人とも漫画が好きでその話をしたり、PS(プレイステーション)のSPS(セカンドパーソンシューティング)というゲームが好きでよく話題にしていました。SPSは銃などで撃ち合うゲームです」
#2でも報じたとおり幼少期や中学では大人にときおり反抗的な態度を示していたAだが、高校生活は落ち着いていたようだ。
足が早く、運動神経抜群だったA少年は、高校では運動部に所属したわけではないが、趣味も多彩で陽気なキャラクターだった。
「Aくんはほかにも、ロードバイクっていうんですかね、スピードの出る自転車が趣味で、週に一度はサイクリングに行っていました。家族の話はあまりしないのですが、別に避けてるというわけではなかった気がします。
高校時代は里親のところに住んでいました。僕も遊びに行ったことがありますが、普通の一軒家でAくんもさらっとした感じで「里親なんだ」と言っていました。小学校の頃からAくんの家庭についてはなんとなく複雑だと知っていたので、特に僕も深くは聞きませんでした。
僕らは放送部だけでなく、アルバイト先も一緒でした。1つ目はドラッグストアの倉庫でバイトし、2つ目はラーメン屋で、最後が洋服の倉庫で働いていました。高校3年間を通して、トータルで1年間近くはバイトしていたと思います。ゲームと自転車にもお金を使っていたので、そのためにバイトをしていたんじゃないですかね。夏休みには高校の同級生の家に一緒に泊まりにいったこともあります。彼は学校の近くのカラオケ店に他の同級生と行ってたりしたのも知ってます。とにかく『普通』だったので、事件の話を聞くとショックというか……」
A少年が自衛隊を志すようになったのは、いつごろからだったのだろうか。小学校時代の親友が記憶を紐解く。
「昔はよく一緒に遊びました。木に登ったり、ハチの巣つっついたりしていて、やんちゃな性格でしたよ。当時は鬼ごっこなどして遊びました。小学校5、6年のときが一番仲が良かったですね。Aくんはとても優しくて、自分が友達にからわれていたりすると『俺の親友だからやめてくれ』と言ってくれることもありました。
自衛隊については、小学校5年生くらいのころに『カッコいい』と言っていたのを記憶してます。彼の家の庭にはBB弾も落ちていたので、エアガンも好きだったかもしれないです。撃ってるのは見たことないですけど」
また、A容疑者の自宅は、殺風景だったという。
「家のなかには物が何もなかった印象です。テレビも寝室に一台だけって感じでしたし。家はそんなにキレイじゃなかったですね。Aくんは中学に上がってからは特別支援学級のクラスになって、入学後もすぐに不登校になったのでその後はわかりません。不登校の理由はわかりませんが、もともと小学校のころも学校が好きというよりは面倒だなと思うタイプだったと思います」