街の公園から、子供たちの歓声が消えた
昭和が終わろうとする1988年8月22日、午後6時23分。4歳(当時)の女児Aちゃんの母親(当時44歳)から、埼玉県警に電話が入った。
「本日午後3時ころ、近所に遊びに行く、と言って外出した次女が未だに帰宅しない」
県警が駆けつける前には、すでにマンション自治会の方々がAちゃんの捜索を行っていた。そこに父親(当時47歳)の姿がなかったことで、のちにあらぬ詮索を受けた。父親が娘の失踪を知ったのは翌朝、経営する都内の設備設計会社にかかってきた県警からの連絡によってだった。
自宅は埼玉県入間市。マンションの裏には入間川が流れている。この日、仕事に忙殺されていた父親は、終電前に仕事が終わらなかった。
「あの日は、いつものホテルに泊まる予定だったが満室で、以前一度だけ世話になった旅館に宿を取ったのです。いつもならすぐに熟睡するのに、胸がドキドキして眠れなくて。体の具合が悪いのかなと思うほどでした」
この想定外の行動で、奥さんからの連絡は途絶え、娘の失踪を知る由もなかった。父親は、帰宅してからはAちゃんの足跡を求め、奔走した。
「Aを連れ歩いた場所や、西武線沿線を一駅一駅下車して、手がかりを求めて探しました。もしかして山の中の水溜まりにはまっていないか、と80日間歩き回りました。5年でも10年でも娘を探そうと覚悟を決めたのです」
そうした地獄のような日々が続くなか、同年10月3日、今度は隣町の飯能市に住む7歳(当時)の女児Bちゃんが行方不明になった。
さらに2か月後の12月9日、川越市に住む4歳(当時)の女児Cちゃんが自宅近くで忽然と姿を消した。5日後、「C かぜ せき のど 楽 死」と書かれた謎解きのようなハガキが、川越市のCちゃんの自宅に届く。翌日、全裸にされたCちゃんの遺体が入間郡名栗村(現・飯能市)の山林で発見された。
小さな女の子を持つ親たちは、震え上がった。街の公園から、子供たちの歓声が消えた。