ももクロ以前の音楽キャリア
――(吉田豪)というか当時めちゃくちゃ若かったんですよね。
FKD 25歳前後ですね。いま思うとホントなんで会社を辞めたんだろって(笑)。
――『未来へススメ!』ぐらいのときには、もう会社辞めてて。
辞めてましたね。あのときはスターダストからの小遣いと、あと平日たまにバイトしながら生きてましたね。
――そして、平日の本職がなくなったから楽曲にも関わるようになって。
そうですね。もともとずっとアマチュアバンドやってたんですよ。
――ジャズでしたっけ?
そうです。ビッグバンドで鍵盤弾いてて。そのあと地下アイドルのバックで鍵盤弾いたり。
――そんな経験もあるんですか!
あるんですよ。桜川ひめこのうしろでキーボード弾いたり。
――えぇーっ!? 『アキバに行くのん!』の? ああ、秋葉原つながりだ。
そうです。そういうのをやったり。で、遊びでバンドやってたんですけど、そのときのボーカルがでんぱ組.incのえいたそ(成瀬瑛美)だったんですよ。
――そうだったんですか!
これ言っていいのかな? だから当時からえいたそのことを知ってて、何年か経ってTIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)で会うわけですよね。基本そのときは「FKD」とか「福田さん」って呼ばれてたんですけど、バンドのメンバーからは「幹大さん」って呼ばれてたんですよ。
えいたそにTIFの裏で会ったとき、「あ、幹大さん!」って呼ばれて、それをぱすぽ☆のメンバーに見られて。「おまえどこで女を引っかけてんだよ!」みたいに言われて(笑)。「違うんです、昔からの知り合いなんです!」って。
音楽ディレクターの道へ
――つまり、音楽知識はちゃんとある人なんですね。
でも、見よう見まねでしたね。当時のももクロってホントお金なかったんですよ。MVも撮れないから、川上さんがハンディカメラ持ってきて公園で撮影したり。そんなことばっかりやってて、当然ディレクターなんていないんですよ。会社のスタジオはあるけどディレクターがいないから、「おまえが録れ!」って言われて。
――最初に担当したレコーディングがmihimaru GTのカヴァー『ツヨクツヨク』で。
いまは本家より有名になっちゃった『ツヨクツヨク』ですけど、あのときは「これ、いい曲だからやろうぜ」って川上さんか藤下(リョウジ、現在スターダストプロモーション代表取締役社長)さんのノリで。当時、Mihimaru GTさんはスターダストと業務提携してたんですよね。
――そういうつながりだったんですね。