そこから先は当面、僕がレコーディングをやってました。
――実は初期の重要な曲にガッツリ関わってるわけですよね。
そうですね、『最強パレパレード』も僕が録りましたし、『未来へススメ!』からずっと、『Dream Wave』(飛鳥凛のカヴァー)も録った記憶あるし。あのへんのカヴァー曲はほとんど録ってます。よくやってましたよね(笑)。愛ちゃんのレコーディングを1回か2回見学させてもらって、こうやって録るんだって学んで、その翌月にももクロでやってましたから。なつかしいですね。
ももクロ初期代表曲の誕生
――名曲『走れ!』や『全力少女』も手掛けて。
全部やってましたね。
――『オレンジノート』に至っては作詞まで担当してましたね(クレジットはツキダタダシ名義)。
やっちゃってましたね。それで2010年にインディーズからメジャー(ユニバーサル)に上がることになったんですよ。そしたらもう僕やることないじゃないですか。だからクビだと思ってたら、「おまえもユニバーサルに行け」と言われて。翌週には「ユニバーサルミュージックA&R」っていう名刺を持たされてました。
――急にあんなデカい会社に入ることになって。
ホント完全おのぼりさんですよね。アイドルをちょっとやってただけのド素人がいきなりそんな偉そうな名刺を持たされて、「おまえが全部を仕切るんだ! アートワークをやるんだ!」って言われて。
――そんなのやったことないですよっていう(笑)。
わからんぞ……と思いながら、ホント見よう見まねで。「とりあえず曲を集めろ」と言われてコンペをして、残った曲が『行くぜっ!怪盗少女』『走れ!』『全力少女』『オレンジノート』の4曲でした。
――すさまじいクオリティのコンペじゃないですか!
どれをリード曲にしてデビューするんだって話で揉めたのはめちゃくちゃ覚えてますね。これ川上さんに絶対言いたいんですけど、『怪盗少女』をいいって最初に言ったのは藤下さんなんですよ。
――お、さすが理事長!
「これだ!」って言ったんですけど、僕と藤下さん以外、誰もいいって言わなかったんですよ。いまでも川上さんの第一声を覚えてて、「すげえいい曲だけど、これライブでやるぐらいだよねー」っていうのが川上さんの評価で、すげえヘコんだんですよ。でも、なんやかんやでそれがリード曲になって。
――メジャーデビューのリード曲が『怪盗少女』になって、ももクロの運命がそこから変わっていくわけですけど、アニメ好きのFKDさんからしたら『ルパン三世 カリオストロの城』オマージュの曲はハマって当然だったんでしょうね。
そうですね、どストライクの曲が上がってきて。作曲のヒャダインもこの曲に懸けてくれてて。アレンジャーはもともと違う人だったんですけど、「頼むから俺にやらせてくれ、金いらないから」って会社に乗り込んできて。
当時はヒャダイン=前山田健一じゃなかったんですよ。彼の「実は同一人物です」って発表も、プロモーションのためにやってくれて。それで出来上がったのが『怪盗少女』ですね。