属性付与に反発しないで合わせると依存的になる

レインは、「ある人に与えられる属性が、その人を限定し、ある特定の境地に置く」といっている(前掲書)。属性化が命令であるというのは、今の例でいえば、子どもはどんなふうに育ってもいいはずなのに、自分が親によっていい成績を取れる子どもとして限定されるからである。

自閉症スペクトラムの弁護士が主人公のドラマを見たことがある。その中で、弁護士が「私のように障害があると、好きだというだけでは十分でないようだ」と語るシーンがある。彼女は人を愛することがどういうことなのかをなかなか理解できない。人から話を聞いたり、本を読んだりして理解していたつもりでも、自分で経験して初めてこの気持ちが愛なのだろうかととまどう。

私が好きだったらそれでいいではないかと思いたいのだが、まわりの人は、彼女が感じている感情を愛だと認めず、彼女は人を愛せないと決めつけているように見えることに困惑する。

属性付与に反発しないでそれに自分を合わせてしまうと、自分に属性を付与する人に依存して生きることになる。

我が子を「頭のいい子」とほめることの罪…相手に「属性」を与えることが強制や命令となって関係性を悪くする危険_2

先に叱られると依存的になると書いたが、ほめることも依存的にする。ほめられたら嬉しいではないか、自信を持ち、やる気を出せるようにするためにはほめてもいいのではないか、ほめて伸ばすのは大事なことではないかと考える人は多い。

しかし、ほめるとは何らかの意味で上にいる人が下にいる人にする評価である。部下が上司を普通はほめたりしないだろう。対人関係の下に置かれることは嬉しくはないはずなのに、いわば家来や子分になって自分をほめる人に依存する人はいる。

実際よりも過剰な評価をされた時も、自分をほめた人の期待を満たさなければならないと思うが、実際にはそれができないと思った人にとって、ほめられることはプレッシャーになるので、期待を満たせなければ認めてもらえないと思うと、自信を失ってしまうことになる。このように、ほめることも属性化であり、命令になってしまう。