「不正に加担するのは本意ではない」
あれは2013年、次期日本サッカー協会会長である宮本恒靖がFIFAマスターで共同論文を執筆していた。テーマはボスニア紛争の最激戦地であったモスタルにアカデミーを作って、サッカーの力で民族融和に貢献するというもの。これが日経新聞に出ると駐ボスニア日本大使館がサポートを申し出てきた。
外務省とJICAにはODA予算があり、モスタルのスタジアムの改修を援助できるのである。大使館での会合に招かれたオシムも協力を快諾し、阿部勇樹など日本の教え子にも声をかけた。
プロジェクトは動き出し、いよいよ予算申請という段階で外務省から、献身的に動いてくれたオシムに対し「ぜひ、この実行委員会に加わってもらいたい」というオファーがなされた。善き理念に裏打ちされた祖国の復興支援プロジェクトのボードメンバーに名前が連なるのは、極めて名誉なことである。誰もが快く引き受けると見ていた。
ところが、オシムはこれを断ったのである。理由はそのストイックなモラルから来ていた。
「ボスニアは政治腐敗が進んでいて、スタジアム建設という巨額な案件は必ず利権の温床になる。日本政府がどれだけクリーンな入札方式を提示しても確実に汚職が発生し、政治家の懐にカネが入る。そこに自分の名前が使われて不正に加担するのは本意ではない」というものであった。
三民族を統合させた人物であればこそ、全く楽観視していない。鋭利に現実を見ている。全民族から平等、公正と見られている所以であった。イビツァ・オシム通りでしばし感慨にふける。
翻って日本では東京五輪に関する汚職が露わになり、逮捕者まで出た。政治家になった元オリンピアンたちが、官房機密費を使っての招致活動をしていたことを暴露しながら、それが問題視されると、説明責任を放棄する。与党政治家たちの裏金疑獄も表面化してきた。ミャンマー、ウクライナ、ガザではいまだに戦争が続く。オシムなき世界で突き付けられた課題はあまりも大きい。
文・写真/木村元彦