オシムを日本に招聘した男
木村 昨年5月1日にオシムさんが亡くなって、祖母井さんのもとにも、たくさんの取材オファーが殺到していたと思いますが、一切受けておられませんでしたね。
祖母井 私はオシムさんと違って、サラエボ出身じゃないですからね(笑)。サラエボ人は民族や宗教が大きく3つにわかれているので、まず、相手の話を聞いてから自分はどう話すかを決めるそうです。だから、言葉を選ばなくちゃいけないんだけど、私は言葉を選べないんで。だから、じっと静かにしているのがいいのかなと思いました。
でも、今は時間も経ったので、木村さんからご連絡いただいて、もうそろそろいいかなって思ったんです。木村さんはあのユーゴスラビア、ボスニアという国を体験されてる人だし、その場に僕はいて、もう一緒に学ばしていただきながらオシムさんのことを伝えられたら一番いいなと思ったんです。
木村 ありがとうございます。そもそも祖母井さんが、日本のサッカー指導者としては一番最初に、オシムさんにアプローチをされた。交流があったのは、オシムさんがユーゴスラビア代表を率いてた90年のW杯イタリア大会ですよね。
祖母井 はい。その頃私は、大阪体育大学に務めていて、ゼミの学生たちやそれ以外の学生を含めて20名くらいで、ヨーロッパに視察旅行に行ったんです。そのときに、クロアチアのポレッチでユーゴスラビア代表がキャンプをしていたので、見学に行ったんです。
スロベニア人のズデンコ・ベルデニックさん――日本で、大宮とかグランパスとかいろんなチームで監督をやってたんですけど――彼からその情報をもらったんです。
木村 どうでしたか、オシムさんとの初対面は。
祖母井 強烈でした。グラウンドを全面使っての6対6とか。すごかったです。人数が少ないからピッチが広く感じるはずなのに、反対にすごいスピードと展開の速さで、ピッチが狭く感じました。練習のあとオシムさんが時間を取ってくれて、学生にも話をしてくれました。