契約金にまったく関心のなかったオシム氏
木村 そもそも、大野さんがオシムさんのマネジメントを始めるきっかけは、どういうものだったんですか?
大野 オシムさんと出会ったのは、僕がサッカーの代理人を始めたばかりの頃でした。最初に契約したのが、当時日本代表のキャプテンの宮本恒靖で、代理人を始めてまだ1、2年でした。駆け出しの若造だったので、もっといろいろな選手と契約したいと思っていた頃でした。それで、ジェフユナイテッド市原・千葉の練習場によく通っていたんです。
そこで、当時コーチをしていたオシム氏の長男・アマルと仲良くなりました。アマルは英語も流暢に話せるので、よくご飯を食べに行くようになり、そのうち「うちに遊びに来いよ」ということになって、浦安のご自宅にお邪魔するようになったんです。
木村 ご自宅に行けば、当然いますよね、いつもテレビで相撲を見ているシュワーボ(オシム氏の愛称)が。
大野 そうですね。最初はオシムさんの伝手でヨーロッパのいろいろな選手を紹介していただけたらと思ったのですが、アマルが言うには「そういう人じゃないよ」と。それで僕も欲を出すのはやめて、ときどきオシムさんも一緒に食事に行くときにサッカーの話をしたりして、自分の視野や見識を広げていくというお付き合いだったんです。
そうしているうちに、ジーコの後任の日本代表監督にという話になり、アマルから、今までは自分が父親の契約関係を見てきたけれど、自分もジェフの監督になって忙しくなるから、それを見てくれないかということで、始まったという経緯です。
木村 アマルが大野さんを信頼していたのは、よくわかりますね。でも、いきなり代表監督のマネジメントをするのは、大変な部分があったのではないですか?
大野 アマルから頼まれたのは、オシムさんはお金を儲けたいという人ではないので、変な契約を作られないようチェックすることでした。もっと価値があるはずなのに不当に安くされるとか、やらない方がいいものとか、日本のマーケットがよくわからないので、そのあたりを判断してほしいと。
木村 オシムさん自身は、契約金とかにまったく関心のない方でしたからね。一方で、人道支援のNGOとか平和運動のNPOの誘いには、いつもお一人でどんどん決めて、電車に乗って出て行っていましたね。
大野 はい。そこは僕が関与するべきところではないと思ったので、オシムさんが直接やっていたところもあったと思いますね。