母親の独りよがりの〝愛情〟は「子どもは親の所有物」と思い込んでいるから
私(著者)の母は青山さんの母親ほどではなかったが、過干渉だった。成長してから気付いたが、小学校1〜2年の頃の私は母から教育虐待を受けていた。
それでも私は青山さん同様、母と距離を置こうとは思わず、現在も交流を続けている。
なぜかと問われれば、青山さん同様、母からの〝愛情〟が伝わっていたため、信頼関係が構築できていたからではないかと分析している。
多くの場合、親から受ける愛情が子どもが求めているものとは違ったり、多すぎたり少なすぎたりした場合に、子どもや周囲に過干渉や虐待と評価される。
青山さんや私の場合、母親の〝愛情〟は豊かだった。だが、その中の何割かは子どもが求めていた愛情だったが、大半は母親の独りよがりだった。
母親が独りよがりの〝愛情〟を子どもに注いだのは、「子どもは親の所有物」と思い込んでいたからだろう。私の母の場合は小学校低学年まで。青山さんの母親の場合は、大学受験時までは強固に思い込んでいたが、以降は徐々に緩んでいったように感じる。
「たぶん母は、私が大学受験に失敗しても、『女子大や三流の共学に行くくらいなら、お金は出すからアメリカの大学に行きなさい』と助言したと思います。
結婚相手にしても、反社会的な人だったり、あまりにも非常識な人だったら母は拒絶したと思いますが、子どもの頃から母に洗脳され、母の価値観を植え込まれていたせいもあるかと思いますが、私自身がそんな人は選びませんでした」
青山さんには、少なくとも大学受験時にはすでに、「母は私を絶対に見捨てない」という確固たる自信があった。
母親の過干渉は青山さんが結婚相手を連れてくるまでは続いたが、青山さんが自分のお眼鏡に叶うような結婚相手を連れてきた時点で、母親の激しい過干渉は鳴りを潜めた。
このことは、母親が「子どもは親の所有物」という思い込みから脱したこと。そして、青山さんが母親からの揺るぎない信頼を得たことを意味する。
ちょうど、母親の過干渉が緩んでいくのに反比例する形で、青山さんと母親の信頼関係が強固になっていったのだ。
それは、子どもの頃から長年の間、幾度となく母親が課してきた期待に、娘である青山さんがある程度応え続けてきたことによって勝ち獲った信頼とも言えるかもしれない。
おそらく他人に対して疑り深い青山さんの母親にとっては、青山さんの父親に続き、人生で二番めに信頼できる人間が娘である青山さんとなったのだろう。