主演はハリウッド・スター!?

そんな村上龍先生の次回作は映画化を前提として書き下ろした小説であり、その映画は自身で監督する!という情報がかなりセンセーショナルに発表されたのが1982年のことでした。

なんせ、『コインロッカー・ベイビーズ』の作家がオリジナルストーリーで監督する映画のスタッフのほとんどは、『太陽を盗んだ男』のクルーだというではありませんか! ヤバい! 間違いなく俺のために、俺を興奮させるためだけに、ドリームチームが日本のどこかで結成されてすごい映画を作り始める!

追加情報が出て、だんだん映画の全貌が見えてきます。主人公はゴンジー・トロイメライという名のスーパーマンのいとこ。そのオフビート感覚はまさにサブカル! とはいえスーパーマンというアメリカを代表するIPをどうやって日本映画に連れて来られるのか、事情は当時の高校生にはわかる術もありませんがとにかくヤバいです。そんなことを思いつくのも、そんなことができるのも村上龍先生以外には考えられません。

製作が、先の村上龍×長谷川和彦をぶつけようと企んだ音楽プロデューサーの多賀英典さんだったこともあり、参加するミュージシャンがとんでもなく豪華でした。加藤和彦、清水信之、来生たかお、高中正義、桑田佳祐、そして坂本龍一(敬称略)…サブカルも束になったらメインカルチャーでしょう。1本の映画では考えられないようなメンバーが集まり、サウンドトラックを作り上げられるのも、音楽会にも顔がきく村上龍先生以外には考えられません。

そして主人公ゴンジー・トロイメライはアメリカのサブカル、ニューシネマのアイコン、『イージー⭐︎ライダー』(1969)の主人公、キャプテン・アメリカことピーター・フォンダ! どうしてピーターが極東の島国、日本映画に参加するのか? 参加できるのか? 

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『イージー★ライダー』のピーター・フォンダ。当時の若者を熱狂させた、時代の顔ともいうべき存在
©Mary Evans/amanaimages
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とにかく高校生レベルでも日本映画の歩留まりなんてものはなんとなく推して知るべしだったのに、それを『だいじょうぶマイフレンド』は易々と飛び越えてきます。 しかも特撮は村上龍先生が直々にハリウッドの特撮ファシリティを見て回った結果選んだ『アウトランド』(1981)で木星の衛星イオの採掘プラントを映像化した、発足まもないイントロビジョン社が担当。

そのスケール感に眩暈がしますが、これが1982年に起きていて、我々高校2年生も体感できる、世界が変わるかもしれない映画革命の足音だったのです。

※この項続く

文/樋口真嗣