限られた者のみに狭く深く刺さるもの
あとで知ることになるのですが、井上陽水、小椋佳を世に出した音楽プロデューサーの多賀英典さんが、1976年に親殺しの少年を描いた『青春の殺人者』(1976)でデビューした長谷川和彦監督の2本目の映画として村上龍さんに書かせたけど、実現しなかった数本のプロットの中の一つをもとに小説化したのが『コインロッカー・ベイビーズ』だったのです。
そして、村上龍先生と袂を分かった形の長谷川和彦監督が、2本目の映画の題材として選んだのが原爆。その映画が製作、公開されたのが1979年。
鬱屈した人生を歩む物理教師が原子力発電所からプルトニウムを盗み、独学、自力で原爆を作り、政府を恐喝する。神に等しい原子の力を手に入れたにもかかわらず、物理教師は何に使えばいいかわからない。そんなシニカルな切り口の物語を、当時最高レベルのダイナミックなアプローチでカタチにした『太陽を盗んだ男』(1979)に対する返歌が、小説としての『コインロッカー・ベイビーズ』であるようにも見えました。
どちらも映画や小説の可能性を拡張させるようなエキサイティングな波を作りだし、それが『スター・ウォーズ』(1977)とは違う軸で押し寄せている気がしました。 『スター・ウォーズ』は全世代にくまなく届くようなオープンな娯楽性なのに対して、その波は限られた世代や生き方を選んだ者のみに狭く深く刺さってくるのです。
どちらの優劣を競うものでもありませんが、『太陽を盗んだ男』や『コインロッカー・ベイビーズ』は、この社会にちょっとでも疎外感を感じている自分たちに向けてダイレクトに語りかけられている! これこそがサブカルであり、もしかしたら大変な過ちを犯しているかもしれないけれど、それが共有できるのも10代の特権なのではないかと都合のいい解釈で乗り切ろうという図々しさがまた10代であると言えましょう。
村上龍先生については、小説だけでなくエッセイも貪り読みました。当時写真を中心としたグラフィカルな視点で時代の断面を切り取っていたサブカル雑誌「写楽」(と書いて“しゃがく”と読む)という月刊誌が小学館から出ており、世の男子高校生どもは篠山紀信撮影による衝撃のグラビアに夢中になってましたが、私は違った。巻頭を飾る清純派女優決意の素肌を飛ばして、巻末・モノクロページの村上龍エッセイ連載「アメリカン・ドリーム」から立ち読みしていたのは、世界でもおそらく俺一人でしょう。 ちょっと後の1984年ごろの話ですが。