「所得制限なしの5つの無料化」など子育て施策をはじめ、国に先んじて実施してきた市民優先の施策が、明石モデルとしてじわじわと広がりつつある。
動かぬ官僚とケンカ上等で渡り合い、その大きな推進力となったのが3期12年にわたり兵庫県明石市長を務めた泉房穂氏だ。
市長退任後も、弱者を無視し、やさしい社会を阻む多数派配慮の政治に物申す。その泉流理念の詰まった『日本が滅びる前に』の刊行を機に、対談を快諾してくれた安冨歩氏(東京大学東洋文化研究所 教授)ご自身も、『「子どもを守る」を政治の原則に』という理念を掲げてかつて市長選に立候補した経験を持つ。子どものための政治こそが大人を豊かにする――その真理を理解し、まっとうな政治に転換できてこそ日本の未来は開けるという両氏の提言に、揺らぎはない。
「最後は金目」とは180度違う支援
安冨 『日本が滅びる前に』を拝読いたしましたが、泉さんがやってこられた明石市12年の市政から、何を酌み取るべきなのか、それが非常に分かりやすくまとめられていると思います。私も二度ほど選挙を経験しましたが、どちらもスローガンは「子どもを守ろう」という一点だけです。それが大人の社会を豊かにする、あらゆる政策の原則、基準になると思ったからです。
泉 安冨先生とは何度もお話しさせていただいていますが、非常に本質の奥の部分を深掘りいただいて、助かっております。おっしゃるように、子どもというのはちいさい子という意味ではなくて未来です。あるいは他者でもあり、弱い者とも言えます。支援を必要とする対象としては、子どもだけでなく、障害者施策や犯罪被害者・加害者施策もやってきた。そういう意味で明石市は未来に向けて政治展開をしてきたといえます。他の地自体が明石の子どもに対する一部の政策だけをまねてやっても、それでは市民には響かない。根っこにある明石の理念、哲学の背景があってこそ市民に安心が生じて、まちが元気になったと私は思っている立場です。
安冨 ただ弱い人を支援するのが政治かというとそれは違うと思う。例えば石原伸晃さんが(環境相時代、福島第一原発の事故に伴う除染廃棄物の中間貯蔵施設を巡り、政府と福島県の交渉が難航している状況を)「最後は金目でしょ」とおっしゃったのが非常に象徴的でした。これは弱い人たちが悲鳴を上げているのは結局金をくれと言っているんだと理解して、金を渡して黙らせるという考え方です。
そうではなく、弱い人が声を上げているのは社会全体の歪みがそこに表現されていると考えて、そういう人たちが苦しまずに済む社会をどう作っていくか、そのフィードバックのためのセンサーだと考えるか、この違いだと思うんです。