「無料化ばかり」が強調されると明石市の成功を見誤る

 そこは大変重要です。政治とは強い者のためにあるのか、弱い者のためにあるのか。今は既得権益を持つ強い者のためにあるから、弱い者に対して金で解決するといった発想になる。みんなで助け合うためにお金を持ち出し合ってつくっているのが社会であり政治で、それが本来の姿です。全員がハッピーならば社会は要らないんです。そうではないから社会が形成され、公務員がいて、政治家がいて、それを調整する。常に弱い者に向いているのが本来の政治の姿なんです。

安冨 はい。弱い人の声を酌んで、それで社会が変わることが絶対に必要なんです。例えば駅に段差があって、車椅子の方がそこで移動できなくなる。これは車椅子の人にとってはただ移動できないだけですが、健常者の酔っ払いがそこにつまずいたら転んで死んだりするかもしれない。とはいえ、段差をそのままにして、車椅子の人のためにスロープをつけると、健常者にとってはつまづくポイントが増えてしまいます。

それゆえ、段差をなくして真っ平らにするほうが、人にやさしくなるし、マジョリティにとっても大きなメリットになるのではないかと思うんです。あるとき駅でつまずきそうになって、ふとそう気がついたんですよ。弱い人の声を酌むことによってすべての人にやさしい社会に変わっていくと。

子どもを守る政治「明石モデル」をまねる自治体が増える一方、それらが市民に響かない本当の理由 泉房穂×安冨歩_2
安冨歩氏

 おっしゃるとおりだと思います。また明石の自慢になってしまいますが、やはりまちの市民の意識が変わったのがすごく大きい。明石は子どもにやさしいまちと言われますけど、子どもに対する気づきが生じると、お年を召した方にもやさしくなれるんですよ。お年寄りが重たい荷物を持っていると、町なかでみんなが声をかけ合っている。びっくりするぐらい変わったと多くの市民が言っています。子どもにすらやさしくできないまちが、ほかの誰にやさしくできるんだということ。そこは全部つながっていると思いますね。

安冨 弱い人が文句言っているなら金を払おうは、政策として理解されるでしょうが、まち全体が人に対してやさしくなるのはもう政策ではないと思う。

 政策面で誤解を招きがちなのは、明石市の子育て5つの無料化ばかりが有名になりすぎて、ただとか無料の部分ばかりが強調されることです。そうではなくて、明石市は児童相談所の人員を倍にしたり、職員数を3倍にして家庭訪問をしたり、気づかれにくいところを一生懸命やっている。つまりお金に加えて、寄り添うとか、安心の提供とか、大丈夫というメッセージ性のほうが重要なんです。ソフトもハードも両方必要だし、とくに人の気持ちや配慮は欠かせないものなんですよ。