「勤のおじいさんは女工さんに手を付け……」
「おまえたち、何をやっているんだ!」
ほどなくして駆けつけた警視庁の捜査官に報道陣全員が追い出されるまでの60分間は、重大事件の容疑者の自宅を捜査前に取材するという奇跡に近い体験だった。
家族旅行中だったわたしは、何度か利用したことのあったバンガローに家族を押し込め、ランニングと短パン姿で2日間にわたって五日市町を駆け回った。偶然だが、そのバンガローのオーナーの長男は勤の中学の同級生だった。バンガローの目と鼻の先には、勤の母親の実家もあった。
取材で浮かび上がったのは、宮崎家の歪んだ家族関係だった。祖父の代から宮崎家は絹織物業を営み、最盛期には女性従業員が十数名働いていたという。近所の主婦が内情を語ってくれた。
「勤のおじいさんは女工さんに手を付け、孕ませた子が何人もいました。おばあさんはおじいさんの悪口を近所に触れ回り、いがみ合うふたりの仲は有名でした。PTA会長をやっていた勤のお父さんも役員の女性と噂になっていて、奥さんと喧嘩が絶えなかった」
印刷業が忙しくなった両親は、従業員や祖父に勤を預け、生まれつき障害があった勤の手の治療も行わなかった。
慕っていた祖父が1988年5月に他界すると、勤は祖父の愛犬ぺスの鳴き声を録音したテープレコーダーを祖父の遺体の耳元に近づけ、スイッチを入れた。のちに勤はこう供述している。
「眠っている感じなので目を覚まそうと思った。おじいさんは見えなくなっただけで、姿を隠しているのだ」
火葬場から持ち帰った祖父の遺骨を、勤は食べた。逮捕後の取り調べでDちゃんだけでなく、Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんの殺害も自供した勤は、最初の被害者Aちゃんの遺骨を食べた理由を「焼いて食べて、おじいさんに送って、蘇らせたい」と語っている。
骨を食べる行為は蘇生の儀式だったのだろうか。大好きな祖父の死によってスイッチが入った、とわたしは見る。一連の幼女殺害事件が始まるのは、祖父の死から3か月後のことである。
#3に続く
取材・文・撮影/小林俊之