日本では上映を拒絶する劇場も

ピッチに立つメッシ選手は抜群の体幹の強さで、対戦する選手らに囲まれ、タックルされても猛然とドリブルを続けて少しもブレません。この祖国の英雄よろしく、いわば思考の体幹が、日本よりしっかりあるのではないかと思えたのです。「教育とナショナリズム」を巡る危険性をくっきり受けとってくれた。むしろ本作を色眼鏡で見たのは、内向きな日本国内だけの考え方やイデオロギー対立だったのではないか、と。

たとえば、本作を「左翼の嘆きのような作品」と評して上映を拒絶した劇場がありました。公開前の2021年秋、その劇場はドキュメンタリー映画の拠点とも称されていたため、当時はひどくショックを受けたものです。また取材を申し入れたある教科書会社の編集者でさえ「政治的文脈におかれる取材はお断りしたい」と明確に「政治的」を理由として協力を拒みました。私が勤める毎日放送でも、映画事業化に消極的だった背景として、「政治」を真正面から扱ってリスクがあると見なされたことも要因であったと思います。

「斉加監督が目指すのは、愛国教育を押し付ける勢力との対立を深めることではない」、こうまではっきりと理解してくれた地元記者の筆力にも敬意を表したくなりました。

ドキュメンタリー『教育と愛国』は南米アルゼンチンでどう受け止められたか?&杉田水脈議員「33万円賠償命令」に思うこと_4
真剣な眼差しでスクリーンを見つめるアルゼンチンの観客

南米アルゼンチンで私が上映の夢を実現できたことは、とりわけその地に意味があると感じるようになります。ブエノスアイレスは、ヨーロピアンな建物群の街であるのに、アジア人が街に溶け込んで見えるのが新たな発見でした。

私が通りを歩いていても、見知らぬおばさんが道を尋ねてきます。それぞれの民族ごとに英雄の銅像が建っていますが、排他的ではなく融和しています。日系人が作った日本庭園もあり、共存しているのは列強をルーツにした人たちだけではありません。アルメニアの虐殺から逃れて来た難民たちのコミュニティも存在し、東京の「はとバス」に似た観光バスのルートになり、「ここはアルメニアから移住した人たちの地域です」と音声ガイダンスが流れるのです。