池田理代子さんからいただいたコメント
映画の予告編を「トレイラー」と呼ぶことさえ知らずにいた私が、映画監督と呼ばれて「教育と愛国」の舞台挨拶に立った初日から4か月余り。「背筋も凍る政治ホラーだった」と評され、「マジ、やばい」と憤怒の声があがり、「よくぞ、つくった」と熱気にも包まれて、本作は確かな一歩を踏み出しました。
ここまでの道のりは平たんではなかったし、身体はいまも緊張がほぐれません。けれど試写会前の重苦しい心境とは雲泥の差です。
新型コロナ禍で教育への政治介入の弊害を痛切に感じ、学問の自由も脅かす日本学術会議問題が起きたことで「絶対に映画にするぞ」と自ら走り出し、なのに完成直後になって不安に襲われた私は、一通の手紙をしたため、試写版DVDとともに投函しました。
漫画「ベルサイユのばら」の作者、池田理代子さんに本作へのコメントを書いてもらいたいと思い立ったのです。2022年1月下旬、憧れの人に恋文を手渡すような気持ちで文章を手書きしました。
そして1か月後、幸運にも願いが叶いました。後に予告編の冒頭に一部紹介することになるそのコメントを見たとき、私は息をのみました。
「学者とは、真理を追求する者であるべきであり、教科書とは、その時代その時点での真実を子供たちに教えるべきものである。そこに、政治の入り込む余地は本来ない。そのことをはっきりと教えてくれる映画である。」 池田理代子(漫画家・声楽家)
コメントそれ自体が美しい真理のようです。真理は暗がりを照らす道しるべになります。この文章が灯りとなり、揺れる私の心を支え、初めての体験であった試写会からプロモーション、取材対応、トークイベントとここまで走破できたと言えるでしょう。
そして私は池田さんの作品にあった眼差しの中に、人間が大事にすべきものをかつて見つけ、その原点が記者になって以降も大きく影響していたと再認識したのです。
「ベルサイユのばら」の連載のスタートは1972年5月。半世紀前、池田さんは当時24歳、1965年生まれの私はまだ7歳。幼くて読めない字もあったのに、男装の麗人オスカルと悲劇の王妃マリーアントワネット、ふたりの女性の成長を軸とした物語にすっかりハマります。宝塚歌劇で舞台化もされた漫画を友人から借りては読みふけっていました。
我が家は宝塚大劇場が建つ武庫川沿いにあり、庭の松の木の向こうに川面が見え、劇場までは歩いてすぐ。6年生に進級した春、愛蔵版全5巻(1976年4月初刷発行)を入手します。「小学校の卒業祝いを卒業前に買って!」と親に泣きついたのです。人生の節目節目で数えきれないぐらい読み返してきました。