日本との報じられ方の違い

シアターが小さくなった2回目、3回目の上映はさらに熱気が高まった気がしました。マイクがある所へ私が立つ前から数人が質問の手を挙げているのです。各地に赴いた日本の劇場では、「質問がありますか?」と聞いてもまず最初からは手が挙がりません。

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BAFICI通訳のリナさん(左)と斉加監督

ですから、会場が明るくなって瞬時に手を挙げるアルゼンチンのお客さんの姿に対して「え?」「抗議の意味?」と当初は面食らったほどです。

その質問や意見は以下のようなものでした。「自分は歴史を教えているが、この映画を教材にぜひ使わせてほしい」「慰安婦問題について日本政府がこれほど社会に圧力をかけて沈黙させているとは知らなかった」「教育への政治介入は、どの国にも共通する課題だ」などなど。映画を介して意見を述べることを観客たちは楽しんでいるようでした。

劇場の外ではインスタグラマーだという青年が待ち構えていました。スマホで撮影をしつつ「(こんな映画を作って)あなたに脅しとかはなかったのか?」と次々質問を繰り出します。彼は早く紹介したいと言って、その日のうちにテンポよく編集された動画をアップしてくれました。 

日本とアルゼンチンで、その差を強く感じたのはメディアです。地元のテラム紙は、本作を以下のように報じました。
https://www.telam.com.ar/notas/202304/626646-cine-bafici-documental-hungria-japon.html

「日本で物議を醸す教育の問題点に着目したドキュメンタリー作品」
映画の冒頭から、観客の目を引くケレンの演出に頼ることなく、ごく身近な教育現場の描写をとおして日本国内で論争を引き起こしている愛国教育の実態に迫っている。

そこで生徒たちが使用している歴史の教科書には、第二次世界大戦下での大日本帝国による戦争加害や他国に対する侵略、人道に対する罪については触れられていない。

このような日本の歴史教育の現状を映像に取り上げることによって斉加監督が目指すのは、愛国教育を押し付ける勢力との対立を深めることではない。学校はただ、ありのままの事実に基づいた歴史教育をするべきであり、若い生徒たちに過去に何が起きたのか伝えないことは間違っている、との一貫した立場を示している。(以下略)

現地発の記事から日本との差を感じたのは、「公正」や「中立」、「自由」に対する捉え方の違いでした。何を憂うべきなのか、社会に対する軸とも言うべき体幹が、日本よりしっかりあると感じたのです。どれだけ外から圧力や扇動があろうと、歴史の変遷を経て鍛えられた社会に対する考えの軸、それが感じられたのです。