もし生きていれば、自民党ハト派の重鎮として活躍していたかも

安倍晋太郎の父・寛は東京帝国大学を卒業するや、銀座に当時としては高級だった自転車の輸入販売会社を立ち上げた。

さらに政界にも進出。ふるさと山口県日置村の村長となり、村の青年のための農村塾を開塾、「今松陰」と呼ばれる。 

山口県会議員になり、昭和12(1937)年に総選挙に出馬、当選した。
太平洋戦争中、三木武夫とともに「国政研究会」を創設し、東條英機総理大臣の戦争政策を批判。特高警察にもマークされた。昭和18年には、東條内閣の退陣を求め、戦争反対、戦争終結の運動を起こしている。 

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敗戦後、ようやく安倍寛の時代が訪れたと思われた昭和21(1946)年1月30日、カリエスを患っていた寛は心臓麻痺で急死した。51歳だった。 

もし生きていれば、自民党ハト派の重鎮として活躍していたかもしれない。

安倍晋三は、身の危険を感じながらも、平和を願い、権力と命がけで戦った祖父寛の持つ反骨魂も秘めているのだ。 

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『安倍晋三・昭恵  35年の春夏秋冬』(飛鳥新社)
大下英治
2023年5月18日
1800円
300ページ
ISBN:978-4864109543
『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)がふれなかった
愛と真実の物語!


増上寺で行われた安倍晋三総理告別式で、昭恵夫人が挨拶でこう言った。

「十歳には十歳の春夏秋冬があり、二十歳には二十歳の春夏秋冬、五十歳には五十歳の春夏秋冬があります。(略)政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」

父・安倍晋太郎氏の秘書官時代から40年。
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