なぜ昭恵は森友学園に感激し、受け入れたのか

昭恵は震災後に福島県に定期的に行くようになった。ある時、会津若松市の市長と話していたら、長州の悪口を言われた。昭恵は「長州がどうとかっていうけど、もう、日本の国内でそんなこと言ってちゃ駄目ですよ」 「ぜひ下関にお越しください」と言って、歴史の勉強会も行いたいと考えていた。 

初めて昭恵から名刺をもらった時に驚いたのは、自分の直接の電話番号やメールアドレスが記載されていたことだ。彼女はそれを何千枚と人に渡してきた。電話やメールが殺到するだろうし、下手したら迷惑電話なんかもあったのでは、と聞いてみたら「大丈夫です。迷惑を被ったこともありませんよ」とケロッとしていた。普通の政治家の妻ならまずやらないだろう。 

余談だが、この朗読から籠池泰典の森友学園の小学校へと繋がっていった。そこでは幼稚園児に教育勅語を暗唱させていた。むろん論語に比べて教育勅語はイデオロギー的なものではあるのだが、「声に出して読む」という行為は同じだったから、昭恵は感激し、抵抗なく受け入れたのだろう。

「UZU」を始める際に、安倍は許可を出したが、二つの条件を出している。

 一つは昭恵が酒飲みだったから、「経営者が飲むような店は、絶対つぶれる。店では飲まないこと」。もう一つは「赤字でなければ、そのまま続けていいけれど、一年経っても赤字が続いてるような状態であるなら、即、やめること」。 

結果、UZUは平成24(2012)年10月7日にオープンして以来、ずっと黒字で、安倍が亡くなった後の令和4(2022)年10月31日に閉店した。 

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ミャンマーに学校を3校つくった

意外と知られていないのが、昭恵がミャンマーに学校を3校つくったことだ。 

キッカケは曾野綾子だった。聖心女子大学の先輩で、平成16(2004)年に彼女が日本財団の会長としてアフリカの貧困の現場を見るツアーが組まれた際に、「自費で行くから連れて行ってくれ」と昭恵の方から頼みこんで同行した。 

その時の体験から、「自分も海外の子供達のために何かできないか」と考えるようになった。アフリカは遠いので、まずは近い所からとアジアのどこかと考え、安倍に相談したら「ミャンマーがいいよ」と提案された。 

ミャンマーは非常に親日的な国である。安倍晋太郎が外務大臣で、当時の総理・中曽根康弘とアジア各国を歴訪した際、安倍は外務大臣秘書官としてついていったことがあった。中曽根は途中で日本に戻り、ミャンマーだけは安倍親子で行ったのである。現地は大歓迎で、ミャンマーが日本と友好を深めて、未来のためにお互い努力していきましょうという姿勢を安倍も秘書官として間近で見て感動したという。 

「アジアの中では非常に親日的だし、いい国だから、アジアに学校をつくりたいのなら、ミャンマーがいい」