ニコール・キッドマンもひいきにしたイタリアン

個人的に思い入れのある店に、コベントガーデンにあった「ニールストリート・レストラン」がある。シェフのジェイミー・オリヴァーが修業し、チャールズ皇太子(現・国王)、ニコール・キッドマン、エルトン・ジョンら著名人もひいきにしたイタリアン・レストランだ。間口は比較的小ぶりだが、地中海ブルーのドアからなかに入ると、奥行きのある、シックで落ち着いた空間が広がっている。

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加藤仁著『ディーリングルーム25時』という、異国で活躍する日本人金融マンたちを描いた本の最終章に「旅路に死す」という、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の花形ディーラーだった神田晴夫氏の仕事と死を描いた一編がある。これは読むたびに涙を誘われる。

氏のシンガポールでのディーリングを追ったNHK特集「日本の条件」をわたしが船橋市にある銀行の独身寮の食堂のテレビでみたのは二十三歳のときだった。その直後、神田氏は九十七億円の巨額損失を出して銀行を懲戒解雇され、英系のマネー・ブローカー、チャールズ・フルトン(現・タレットプレボン)社に拾われた。

ロンドンで再起を図った氏が、家族で住んだのは、時期は重なってはいないが、わたしも住んだゴールダーズ・グリーンだった。それからまもなく神田夫妻は三男をがん(横紋筋肉腫)で失う。度重なる悲劇で、氏の頭髪は真っ白になったという。

そんなある日の夕暮れ、夫妻はニールストリートの洒落たレストランで待ち合わせて夕食をとった。神田氏は初めて手にした自動車の運転免許証を嬉しそうにみつめ、店内には『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』(映画『カサブランカ』の主題曲)が流れていたという。

氏はその後、香港に転勤し、わたしがロンドンでサウジアラビア航空のシンジケーションを手がけていた頃、胃がんで急逝した。巨額損失を出してからわずか六年、四十七歳という短い生涯だった。

『ディーリングルーム25時』には、夫妻が行ったのは「ニールストリートのしゃれたレストラン」とあり、「ニールストリート・レストラン」とは書いていない。しかし、普通、レストランのある通りの名前ではなく店名を憶えていると思うので、加藤氏の取材を受けた神田夫人は「ニールストリート・レストラン」といったのではないかと思っている。ニールストリートは比較的短い通りで、当時は、洒落たレストランも少なかった。

わたしは家内や友人と何度かこのレストランを訪れ、神田氏の生涯に思いを馳せながら、ひと時をすごした。店内の照明は控えめだが、ウエストエンドらしい華やぎがあり、料理は上質で、値段は高めだった。残念ながら店は二〇〇七年に再開発のために閉店した。

文/黒木亮 写真/shutterstock

メイク・バンカブル! イギリス国際金融浪漫
著者:黒木 亮
国際金融市場でしのぎを削るバンカーたちは、商談を兼ねたランチミーティングで何を食べているのか?_6
2023年4月26日発売
2,310円(税込)
四六判/376ページ
ISBN:978-4-08-781732-4

“オレ流”でトップ・レフトを追った6年。 
ユーロ市場の激闘を元バンカーの著者が白日の下に晒す、
自伝ノンフィクション

ロンドンに赴任したのは、冬から春に変わる季節だった。
風は爽やかで冷たく、故郷の北海道の北空知によく似ていて、しっくりきた。
街路樹はプラタナスが多く、煉瓦や石造りの建物が歴史を感じさせた。
わたしは国際金融業務の経験のない30歳の若者だった。
あるのは、夢と希望と野心とエネルギーだけだった。(本文より)

大学時代はランナーとして箱根駅伝に2度出場、卒業後はバンカーを経て作家に。
国際金融市場での経験をいかした圧巻のリアリティで惹きつける、経済小説の名手が、『冬の喝采』以降の人生を綴る。
初めて明かされる、作家・黒木亮の“前史”では、
仕事や旅行で訪れた世界各国の風景や食のシーンも、読みどころのひとつ。
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