ペロポネソス戦争後の秩序形成

もう一つの問題は、この戦争の戦後秩序はどう形成されたかということです。アテネは敗北します。その敗北したアテネを支配するために三十人政権という恐怖政治が敷かれます。この三十人は全てスパルタから派遣されます。

結果的にアテネは恐怖政治で仕切られていき、ペロポネソス戦争に参加していた哲学者のソクラテスが弁解するわけですが、ソクラテスが責任を負う形で、毒をあおいで死ぬという歴史が残ります。

これをプーチンの戦争と重ねて、どう展開していくのかということは全く予測ができません。今トルコが名乗り出て、「戦争をやめさせよう」と言っているわけです。

けれども、様々な古代の戦争から歴史をたどっていくと、よく似たものが多くありますが、今のウクライナ戦争に重ねて解決をどうしようかということについては、なかなか教訓を発見することが難しい。

ただ、一つのレッスンとしては、このお手元の書物(『非戦の安全保障論』)でも私は言わせていただいているんですが、御承知の三十年戦争という新教と旧教勢力の対立をきっかけとした大きな戦争がヨーロッパであったときに、誰言い出すとなくウェストファリア体制をつくって戦争をやめることになりました。

参戦していた敵も味方も、参戦していない国も含めてヨーロッパの国々が集まって、こんなことやっていては駄目だということで講和条約を結んだ。その結果、国々はそれぞれの分際を心得て、それぞれが統治を進めるべきであるというウェストファリア体制が敷かれていくわけです。

ウェストファリア体制をつくり上げた会議そのものが、何がきっかけになったのかというのをいろいろ調べたり、歴史の学者の方にお伺いしたのですが、分からないのです。

一応、中心になったのは神聖ローマ帝国だろうと言われているのですけれども、今回のウクライナ戦争でもそういった形が取られればいいと思います。国連が機能しない今、そういった休戦、終戦の仲介者がどこからどう出てくるかが大きなポイントだろうと思っております。

撮影=等々力菜里

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