ベースにはユーミンの曲の世界観がある
日本でいちばん多くのボーカリストと共演した音楽家――武部氏をそう評しても、おそらく過言ではないだろう。彼にとって、本当に優れたボーカルとはいったい誰なのか? 今年デビュー50周年を迎えた松任谷由実を例に、彼の“ボーカル論”を探っていく。
――レコーディングやライブ、『FNS歌謡祭』や『LOVE LOVE あいしてる』などのテレビ番組などでたくさんのボーカルの方とお仕事をされてきました。計何名くらいになりますか?
武部 カウントはしてないですけど、やったことのない人のほうが少ないでしょう。僕より上の世代の人で実際にお仕事をしたことのないのは、たぶん中島みゆきさんと矢沢永吉さんくらい。あとはほぼみなさんと一緒にやってますね。
――ちなみに『FNS歌謡祭』で音楽監督を務めるようになった2003年以降、番組にはのべ1300組強のアーティストが出演しています。
武部 それくらいいます? だったらおそらく計2、3000人の方とはやってると思いますね。1980年代にはいろいろな方のアレンジもしていたわけだし。
――そのなかでも最も長くお付き合いしてきたひとりが松任谷由実(以下ユーミン)さんです。武部さんがツアーの音楽監督を担当されたのは83年からですね。
武部 はい。初めてバンドに参加したのは80年の「BROWN’S HOTEL」ツアーですけど、そのときはキーボードがダブルキャストで、僕と新川博くんが交代で地方を回りました。だから全ステージは一緒にやってないんですね。その後、僕は竹内まりやさんのバンドに移ったので、81年、82年のツアーには参加していません。
83年にユーミンが初めて日本武道館公演をやるタイミングで、松任谷正隆さんから「バンドをリニューアルしたいので、武部の好きなメンバーを集めてやってほしい」と声がかかり、それから音楽監督というかたちでかかわるようになりました。
そこからはもう怒涛のように、80年代は毎年何十ステージとおこない、夏の逗子、冬の苗場があって、あっという間に40年近く経ちますね。
――83年の武道館公演は「REINCARNATION」ツアーの初日でしたが、音楽と照明をシンクロさせたり、レーザーを大量に使ったりと、ユーミンのライブがエンターテイメント化していく、その先駆けとなる公演だったはずです。
武部 そうですね。ユーミンのライブというのは、ライティングであったり振り付けであったり、音楽以外のショーアップする要素がいろいろ入ってくるんですが、ベースにはユーミンの曲の世界観があって、それをどう届けるか、つまりよりわかりやすく届けたり、スケールをより大きくして届けたり、それがテーマなんです。だから音楽的に無理なことをやってきたわけではありません。
ただ80年代という時代もそうですし、われわれの年齢的な部分でもそうですけど、イケイケな時期でしたから、次は新しいアレンジにトライしようとか、新しい機材を投入しようとか、そういう実験の場でもあったと思います。
それが83年に始まって、90年の「天国のドア(THE GATES OF HEAVEN)」ツアーでひとつのピークを迎えるのかな。アルバム『天国のドア』のセールスが日本で初めて200万枚を超えて、われわれのチームにピンク・フロイドのライティングを手がけていたマーク・ブリックマンを迎えて、それが次の転機になったんじゃないですか。そのストーリーを話していくと、えんえん続いちゃいますけど(笑)。
――ともあれ、ライブのベースにあったのはユーミンの曲の世界観をどうオーディエンスに届けるかということだったんですね。
武部 はい、僕が初めて参加した「BROWN’S HOTEL」ツアーは作家の伊集院静さんの演出で、「REINCARNATION」ツアーはCMディレクターの黒田明さん。松任谷さんの演出になったのは87年の「DIAMOND DUST」ツアーからでしたが、そこからは演出と音楽との親和性が深まって、すべてのベースに音楽があるようになったと思います。