トゥキディデスの罠
アメリカの政治学者のグレアム・アリソンが、「トゥキディデスの罠」という言葉をつくり出しました。すなわち、戦争の要因として富とか名誉とか恐怖がありますが、どうしても強い国が出てくる。
その強い国の力が衰えると、また強い国が現れる。世界の様々な現象というのは常にこれに振り回されています。ですから、常にそこに恐怖があるし、脅威があるのは仕方がないんだということで、今から申し上げるペロポネソス戦争をひな形にして、グレアム・アリソンが説いた「トゥキディデスの罠」の話になってきます。
アテネの覇権的アプローチはパワーポリティクスであります。ペルシャ戦争の後に、自分がギリシャ全体の盟主になろうとして、弱い国から次々に力で配下に収めようとします。
そうしますと、当時の都市国家というのは大きな国ではないけれども、連邦国家でもなくて、それぞれが独立して生存しているわけですから、強制されることに抵抗を感じるわけです。その結果、アテネから力で俺の傘下に収まれとアプローチを受けた比較的弱い都市国家が抵抗するのです。反発して離脱していきます。
しかし、単独の弱いままの都市国家では生存できないし、アテネにやられてしまうということで、スパルタとかコリントスからなるペロポネソス同盟に入ろうとします。
それまでデロス同盟に入っていたのですが、アテネが強制的に自分を盟主として力でコントロールしようと出てきたものですから、「冗談じゃないよ」ということで離脱する。
離脱するとアテネは力で抑えようとする。力で抑えようとすると、抑えようとされた、攻めてこられた都市国家が、今度はコリントスとかスパルタに援助を求めるのです。「助けてくれ」と。
そういうことがギリシャ全体で重なった結果、あまりにも多くの国がデロス同盟から離脱して、スパルタ中心の同盟に入ってくるものですから、今後どうしたものかということで、ペロポネソス同盟が大会議を開くのです。ペロポネソス半島の中で。
その結果、「アテネがこれ以上出てきたら俺たちは武力で対抗しよう、離脱しようとしている国がアテネにやられそうになったら助けてやろう」ということで、アテネの出方によっては戦争するという決議をするのです。
これがペロポネソス同盟の最終的な決議だったのです。だけど一方で、先制攻撃するというような決議はしていない。受け身に回った戦争をする、大同団結して戦争するという決議をしたわけです。
ところがこれをアテネは宣戦布告と受け取ります。このペロポネソス同盟の大会議の結果を宣戦布告と誤解してしまうのです。そして、アテネは話し合いもしないまま、先制攻撃に走り、弱い都市国家から攻めていきます。
結果的にはペロポネソス同盟は決議のとおり戦争に入っていくわけです。これがペロポネソス戦争です。
したがって、これを今日のプーチンの戦争に重ね合わせますと、ぴったり重なってしまうのです。アテネはペロポネソス同盟の大会議の結論をもって恐怖を感じる。このままではやられてしまうぞと。自分たちが先に攻められるんじゃないかという誤解をしてしまって、先制的に戦争を仕掛けることになる。
この戦争の途中で、こんな戦争はやっていられないということで、休戦の協定を結んで和約をするけれども、誰も守らないといったような状態が続きます。しかし最終的には、ペロポネソス同盟側が勝ったということです。