僕が道を外さずにこれた理由

風間さんが祖父のケアをしていたのは1960~70年代。介護保険制度が創設されたのは2000年なので、風間さんがケアをしていた当時はまだ存在しなかった。しかし、みんなが周囲を気にかけ、家族だけでケアするのではなく、地域で互いに見守り支え合う空気がまだ残っていたのだ。

僕が住んでいた町は下町の雰囲気があったので、周囲に他人を気にかける空気がありました。僕は子供だったからよくわからなかったけれど、僕と祖父母のことを近所の人やおまわりさんは見守っていて、祖父を保護したりしてくれていたんじゃないかな。

祖父が家の中で排泄をしてしまったときも、隣の人に「臭い!」と言われたこともありませんでした。それもありがたかったです。

貧乏生活についても、お腹をすかせて近所の多摩川の土手で寝転がっていたら、ホットドッグ売りのご夫婦が、僕に手伝いを頼む代わりにホットドッグを食べさせてくれたり、映画館に毎日のように通ってポスターを眺めていたら、もぎりのおじさんがこっそりタダで中に入れて見せてくれたり。

さりげなく気にかけて手を差し伸べてくれたことが、僕の空腹やクサクサした気持ちを癒やしてくれました。僕が道を外さずに生きてこられたのは、そうした人たちに救われたからだと思います。

周囲の大人に見守られ助けられてきた僕は、今は手を差し伸べる番。15年ほど前、車で移動中、幼児を抱っこしているお母さんと、小学1、2年生ぐらいの男の子を見かけたことがありました。2人が何やら叫んでいて、その様子が尋常じゃない。声をかけたら、赤ちゃんが泡を吹いてグッタリしていたんです。

急いで病院へ運んだのですが、男の子はブルブル震えていました。だから、その子の手をとって「君がしっかりしなきゃダメだよ」と励ますと、男の子はうなずいて震えが止まったんです。後日、お母さんからお礼のお手紙が事務所に届いたとき、少しは支えになれたかな、と思いましたね。

戦後、核家族化が進み、隣人がどんな人かもわからなくなってしまった現代は、ヤングケアラーの困窮は、表に出にくくなっている。介護保険制度の充実とともに、周りの大人が地域の子供たちを少し気にかけ、少し“おせっかい”になることが求められているのだろう。

「祖父が全裸で街を徘徊して…」風間トオルが語る“極貧”ヤングケアラー体験_5