「近所の野草を煮て、一緒に食べてました」

祖父の徘徊は日常に。そのため、下校後に祖父を探しに行き、連れて帰るのが風間さんの日課になった。連れ帰る“方法”を編み出し、お金をかけずに祖父の小腹を満たそうと試行錯誤するなど、風間少年は知恵と工夫で乗り切った。

連れ帰るといっても、簡単ではないんですよ。力ずくでは無理だし、「こっちだよ」と呼んでも、「やだよ」と逆方向へ行くので、僕はそのまた逆を読んでうまく家に誘導するんです(笑)。帰宅したら祖父の体を洗って、小腹を満たしてあげたりもしていました。

僕は空きっ腹を満たそうと、よく近所の公園などで草花をちぎって食べたり、アサガオを素揚げにして食べたりしていたので、祖父にも近所の野草を煮たりして食べさせたんです。「おいしい」と言うので僕も食べてみるとおいしくなくて(笑)。本当に味がわかっていたのかなあ。

冬は寒いから裸にはならないんですけど、下校して帰ってきたら、排泄物を家の中の壁や畳になすりつけていたことがありました。たぶん、手に付いた排泄物が気持ち悪くて、壁や畳にこすりつけて拭おうとしたのでしょう。

臭くてたまらなくて、家の窓や玄関を開け放さずにはいられないんですけど、すっごい寒くて! 

翌日は試験だったので、「まったく、なんでこんな日に」と思いましたが、祖父に怒っても何も解決しないので、畳を上げてホースで水を掛け流しながら、壁や畳を洗いました。家はお湯が出ず、水だからまた冷たいんですよ。

風呂がなかったので、祖父の体も家の外で洗って。寒くて、冷たくてかわいそうでしたけど仕方がない。お尻を洗われるのは恥ずかしいのでしょう。抵抗していましたね。

そんな祖父は、僕が中学へ上がる直前に亡くなりました。朝起きたら元気がなくて、そのままスーッと眠るように……。突然のことでした。祖母が「あれ、寝てんのかな?」「息引き取っちゃったのかな?」と言いながら確認して、お医者さんに来てもらいましたが、手遅れでした。

自分の気持ちより祖母が気がかりで、悲しい、とか、やっと介護から解放されてホッした、とも思いませんでしたね。祖父母は10人以上も子供をもうけ、添い遂げました。それが突然、亡くなったので、やはり喪失感は大きかったんじゃないかと思うのです。でも、冷静に祖父の死を受け入れていた。それで、僕も落ち着いていられたのかもしれません。