先入観を持たない陪審員はそもそもいない!?

有名人の裁判で陪審員に選ばれた人が、“名声”の影響を受けることがないとは言い切れない。だって、人間だもの。
例えば映画『ボクシング・ヘレナ』(1993)を降板したキム・ベイシンガーが契約違反で訴えられた裁判で、陪審員のひとりは、被告のベイシンガーに寄り添う当時の恋人アレック・ボールドウィンを見ながら「『摩天楼を夢見て』(ボールドウィンが出演した1992年の映画)のシーンみたいだと思った」とのちに告白している。

この裁判に関しては担当の裁判官にも問題行動が見られている。裁判中に原告である映画プロデューサーからプレミアに招待されて出席した上、パーティーではプロデューサーと仲睦まじく話し込む姿まで目撃されている。この情報をキャッチした被告側が「裁判官による原告への肩入れ」と申し立てた場合は審理無効となる可能性もあったと思うが、結局、ベイシンガーが敗訴。以来、出演契約を締結する際、映画会社側も俳優側もかなり慎重になったという。

バンダービルト大学の法学部が2006年に発表した論文「法廷におけるセレブリティ 法的対応、心理学理論、実証研究」には、有名人が当事者となった裁判のさまざまな問題点が考察されている。例えば陪審員裁判の場合、有名人が被告席に座る前から事件に関してある程度の先入観を持つ陪審員が少なからず存在することが明らかになっている。

陪審員は普通、事件に関するさまざまな情報に左右されず、公正な判断を求められる。しかし裁かれるのが有名人であれば、まず被告や事件に関しての知識がまったくない陪審員を選ぶことは、かなり困難だ。特に現代は大手メディアだけでなく、SNS上にもさまざまな情報が流出する。真実あり、フェイクありとまさに玉石混合の情報が乱れ飛ぶ時代において、事件について「何の情報も知りません」という人間が存在するのか? 存在していたらいたで、まさに世捨て人のような人間が陪審員として正しい判断を下せるのか否かという疑問も浮かぶ。