「再起不能だと思った」人生最大の挫折

──スタジオジブリに出向して制作した『ハウルの動く城』は、細田さん版のプロジェクト自体が頓挫し……当時、おいくつでしたか?

33歳の時に声をかけてもらって。「やっと長編が作れる」と思えて嬉しかった。それから2年で頓挫して……35歳ぐらいかな。

当時、スタジオジブリでは『千と千尋の神隠し』も制作中で、主要なスタッフはそちらに注がれていた。そういう事情もあって『ハウル』は自分で頭を下げて仲間を集めたものの、頓挫してしまった。みんなに示しがつかないですよ。申し訳なくて。

「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督
「これまで過去の自分の作品を振り返ることはなかった」と細田監督

──どうして崩れていったのでしょう?

宮﨑(駿)さんに直接「ダメだ」と言われたわけではありません。でも、求められていることと、やりたいことが合っていなかったのだと思います。

『ハウル』の原作は、歳をとる呪いをかけられたソフィーが主人公で、彼女は少女であり老婆である。その両義性に対してどこに決着をつけるのかという話だと思うんです。時間のズレ、年齢のズレ、さまざまな行き違いが生まれる。ズレの生じる人生の中に、何を見つけるか。それを描きたかった。

──ジブリの『ハウル』はキャッチコピーが「ふたりが暮らした。」だったので、違う答えを求めていたのかもしれないですね。

僕は宮﨑さんの『ハウル』を見ていないので、その答えを知らないんです。でも、違ったんだろうなと思います。

──『ハウル』の後には、アルバイトもされたそうで。

食っていけないからね(苦笑)。運送業のバイトをしながら、『おジャ魔女どれみ』やCGの仕事でなんとか生活していました。

ネットでは「東映は細田を優遇している」と書かれていましたけど、演出料は3か月で30〜45万円ぐらい。だいたい3か月かかるので、月給にすると10万程度です。でも、仕事をいただけるだけでもありがたかったです。再起不能だと思っていましたから。