35歳でオーディションに合格

唯一の収入源だったダンス講師の仕事先で見つけた憧れの仕事。

「『受かったらいいな』なんて、生半可な気持ちじゃありませんでした。もう、受けないといけない、受からないと生きていけない。そんな切羽詰まった状況でした」

当時の彼女は35歳。ダンサーとしては決して若くない年齢だ。しかも英語や北京語は得意ではない。そこで彼女が思い出したのは、10代の時につかんだ「見た目の戦略」だった。

サリーさんの言う「見た目」とは、化粧や髪型、着飾った洋服ではない。周りから振る舞いや仕草、礼節や言葉遣い、どのように見られているかを意識するということ。

「履歴書は知人に英語で書いてもらい、オーディション動画は思いっきりきらびやかな姿で撮りました。中身や技術が完璧でなくても、立ち居振る舞いが『憧れの対象』であれば勝てる。そう信じていたんです」

戦略は奏功した。北京で行なわれた最終選考を突破し、見事合格。きらびやかな世界に憧れていた少女は35歳にして夢を実現させたのである。

「これまで、ダンス講師の延長線で、イベントのお姉さんとか、地方のテーマパークでもダンサーをさせていただきましたが、やはりそのテーマパークは格が違いました。世界観の作り方や、キャストたちそれぞれの誇りの持ち方に、私自身も感動しました。

合格したときは、嬉しい反面『え?(35歳の私で)いいの?』とも思ったのですが、現場にいて感じたのは、年齢ではなく、内側から輝いている人が選ばれるんだということでした」憧れの場所で踊るという夢がかなったサリーさん。しかし運命の歯車は、また予期せぬ動きを始めた。

上海のテーマパークで踊り始めて間もなく、日本にいる父の体調が悪化。サリーさんは、看病をするため日本と上海を何度も往復することになった。

「シフトに入ることも少なくなっていきました。その矢先に父が亡くなり、追うように母も亡くなった。両親が亡くなったことで心にぽっかり穴が空いたような、そんな喪失感がありました」

度重なる不幸、日本と上海の行き来、夢だった仕事すらもできない状況…。そうして、彼女は一つの決断を下す。

「契約を更新せず、日本に戻ることを決めたんです。両親が亡くなって、帰る場所がなくなり、ダンサーの仕事も辞めて、追いかけてきた夢もなくなった。でも、私には他に何かできることがあるんじゃないか…そう思ったんです」