今回、体感としてわかった。人は急に死ぬ

訪問看護師の小森さんが「この日々もいつか康彦さんの本になるんですかねえ」と言ったら、久子は笑ってこう答えたそう。「どうせそうやろ」

なんでもお見通し。どうせそうやろの本が、没後二年半経ってできあがった。

母が死ぬなんて思いも寄らなかった。バカみたいなつぶやきだが、私が生まれて六十数年ずっと当たり前にいる存在で、いつも元気。記した通り生き生きしていた人物で、死の予測など立てられなかった。余命宣告を受けたとて現実味はなかった。

久子20歳の新婚登山。母のアルバムより
久子20歳の新婚登山。母のアルバムより
すべての画像を見る

しかし今回、体感としてわかった。人は急に死ぬ。久子は残りほんの10日間で一気に果てた。医師の予測通りだった。

「3年です」「夏を越えられるかどうか」

専門家ってすごい。ひいちゃんのラスト3年のQOLグラフを描けば、高値安定型、緩ーい下降線で、それがほんの数日間で急落。死のぎりぎりで突如「現実」が襲ってきて、大いにあたふたする自分がいた。

死亡確認後、24時間ほどはあまり記憶にない。張りつめていた気が緩んだときであったし、加えて寝不足、けっこうな疲労が積もってもいた。つまりは老老介護だったわけで。

葬儀は家で行った。兄は町の葬儀場を提案したが、この家で死にたかった人を送るのもこの家しかないと、みんなでもうひとがんばりすることに決めた。

座敷と居間の間のふすまを取り除くとかなりの広さ。古屋敷はそういう造りだ。仏壇脇に簡易の祭壇を据えた。言いつけ通り質素に。

麻実と子どもたちが下座となる応接間の壁一面に写真を百葉ほど貼り付けた。すべて久子が写っているもので、少女時代、新婚時代、夫と、子どもと、PTAや町内会の集い、旅先、友人(ママ友)と、最近の入院姿まで。ひいちゃんの人生が一望できる。

写真だけでなく《ひいちゃんの愛用品》の展示も脇に。帽子、櫛、めがね、マグカップ、太田胃散に正露丸にマダムジュジュ……それらは今もそのままにしてある。

本来はマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』もあるべきだが、これは棺のなかに納められ、久子と共に去っていった。