適切な教育を受けられないのも教育虐待
学校で起きる教育虐待は、家庭でのものよりもっと範囲が広く、厳しい定義ができると思います。その不適切な指導により、子どもたちが本来受けられるべき教育が受けられないのなら、それは虐待です。私は学校での教育虐待をこう定義します。
「適切な教育を受ける権利を奪い、健全な人間関係を学ぶ機会を提供しない」こと。
つまりは、学校において、子どもの多様性を認めず、型にはめようとする指導を行うこと。自ら考える力がつくコミュニケーション能力を育てずに放置することです。さらには、不適切な指導で子どもを追い詰めること。そして何より、健全な人間として成長する機会を奪ってしまうと危惧しました。
学級崩壊も教育虐待の一環と言えます。子どもの育つ環境は当然さまざまです。公立ならなおさらで、成長する場をつくることも教師の使命でしょう。ところが教師による不適切な指導から、困惑の中で暴れまわっている状況にあり、それを教員が放置しているのなら、教育虐待です。教育を受ける権利を奪い、機会を提供しないのですから。
不登校もまた、学校側が野放しにしてしまうのであれば、教育虐待だと思います。
不登校については、私の活動の本拠地である北九州市のフリースクールの先生にうかがったのですが、もはやそこでは教師が「登校刺激を与えてはいけない」と考えているという話すらあるといいます。子どもたちに対し、学校に戻ろうよ、という刺激を与えてはいけないということです。
話を戻しますと、その県では後日、別の学校で再び「セルフ授業」を目にする機会がありました。ここも同じく、小学校教員を中心とした方々が多く参観に訪れる研究発表会でした。
その学校では、6年生の算数の授業を参観しました。
黒板の前に、その授業の「学習リーダー」という役割に指名された子どもが座っています。「次はこの問題を解きましょう」
そんなふうに子どもが台本どおりに授業を進めていきます。私もその芝居のような光景を頭の中にクエスチョンマークを浮かべながら見ていましたが、その場で参観した他の先生たちもそう感じていたようです。教室は、硬い表情の参観者が醸し出す重い空気が充満していたように思います。













