シンコロブウェから採掘されたウラン鉱石

広島での原子力平和利用博覧会の初日は1956年5月27日。以降、広島においては、有無を言わせずに原子力は平和のシンボルとされていくのだが、すでにそれに先立つ1949年8月6日に開催された「平和祭」のポスターには、原子力のシンボルマークが堂々と使われていた。そこに英文で「永久に平和を」とある。

そして、それ以上に僕が途轍もなく驚愕した事実がある。それは広島での原子力平和利用博覧会のわずか2年後に、ベルギーで開催された「ブリュッセル万国博覧会EXPO’58」の展示のことだ。

原子力の未来をたたえる「アトミウム」というランドマークが目玉として設営され、会場内にシンコロブウェ(コンゴ民主共和国に存在したウランの鉱山。第二次世界大戦のときアメリカの核開発を支えた)から採取されたウラン鉱石が展示されていた。

ウラン鉱石 (写真/Shutterstock)
ウラン鉱石 (写真/Shutterstock)

このウラン鉱石は純度がきわめて高く、近くにいるだけで被曝する。ベルギー政府は、このウラン鉱石がマンハッタン計画で使われたことには一切触れていなかった。

シンコロブウェから採掘されたウラン鉱石はベルギー王立中央アフリカ博物館においても保管・展示されていた。ベルギー国王がこのウラン鉱石の大きな塊を至近距離で観覧している写真が残っているが、放射線被曝は考慮されていたのだろうか。

現在のベルギー政府は、これらのウラン鉱石がきわめて放射線量が高いことを認識しており、現在も、特殊な方法によって博物館施設に収蔵されているもようだ*3

ブリュッセル万博では、ウラン鉱石展示と並行して、植民地下にあったコンゴをテーマにした「コンゴ館」が設けられており、そこには民族衣装を着せられたコンゴの人々が生きたまま「展示」されていた。

以降の万博で人間を生きたまま展示するケースはなくなった。コンゴが独立したのはこの万博の2年後のことだ。著しい被曝を強いられながらウラン採掘作業にあたっていたコンゴの採掘労働者たちのありのままの展示でなかっただけまだマシと考えるべきなのか?

そしてベルギー政府は、当時のコンゴ人採掘労働者たちの労働実態や健康被害に関する情報を今現在に至るまで公開していない。