2025年秋、飯舘村の田園。 (撮影/青木理)
2025年秋、飯舘村の田園。 (撮影/青木理)
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近代日本の成長が壊してきたもの

青木 藤原さんには少し前にお目にかかった際、今作の刊行予定と内容のあらましについて伝えてはいましたが、実際にお読みいただいていかがでしたか。

藤原 いやー、面白かったです。そういうと語弊がありますが、やはり102歳のおじいさんが自殺をするというのは、衝撃的でした。一番長生きした私の曽祖母は89歳で老衰で亡くなっていますが、それよりさらに長寿の102歳の老人が自ら死を選ぶなんて、ふつうは考えられない。本の帯に、「古老は、なぜ自ら命を絶ったのか?」とありますが、私が驚いたのは、青木さんが取材を進めるうちに、その問いの意味がどんどん広がっていき、やがて日本がたどってきた近現代の過ちに行きつくことです。こういう問いの広がり方を受け入れる姿勢は、研究者ではなかなかできない。

歴史学、農業史研究者の藤原辰史氏 (撮影/三好祐司)
歴史学、農業史研究者の藤原辰史氏 (撮影/三好祐司)

青木 正直に明かせば僕の遅筆や怠惰のせいも大きいのですが、その問いに辿り着いて解き明かすのに10年近くかかってしまったのも事実です。

藤原 その作業は絶対必要だったと思います。自死してしまった大久保文雄さんと震災や原発事故を単にたどるだけでなく、戦争も含めて、緩く長くこの20世紀前半から後半にかけて日本の歴史が失ってきたもの、破壊してきたものの総体がこの本から見えてくる。また私は、そう見なければいけないと思います。

青木 その点に関して言うと、たとえば首都圏への人口などの一極集中が近年ますます進行し、全国の地方部はほぼ例外なく高齢化と過疎化に喘いでいます。いまは僕も藤原さんも都市部に暮らしていますが、もともとはお互いに地方の出身で、僕が信州は長野、藤原さんは島根の出雲。だから地方の実像や苦境は皮膚感覚でわかると思うのですが、そうした地方部は高齢化や過疎化に歯止めがかからない一方、ある意味で金太郎飴的な画一化というか、風景もすっかり均質化してしまっていますね。

藤原 そうですね。郊外のショッピングモールとか、どこに行ってもあまり景色は変わりません。

青木 それなりの歴史を持つ街や繁華街は寂れて“シャッター商店街”と化し、一方で国道沿いのロードサイドなどには大手チェーンのファストフード店やファミレス、あるいは大型の量販店などが林立している。それだけを眺め、その中にいれば、いま自分がどこの街にいるのか分からなくなってしまうほどです。

飯舘村は違いました。その類のものが一切ないばかりか、大型のスーパーマーケットすら村内に存在せず、山林が7割以上を占める村は、平凡といえば平凡かもしれませんが、閑静な里山の合間に長閑な田園風景がゆったりと広がっている。いま藤原さんが指摘された、20世紀前半からの日本が緩く長く失ってきたものが、風景が、まだ残されているのだと幾度も実感させられました。

藤原 「飯舘村には何もないけれども、じつは豊かで限りなく美しい」と、何度もこの本で繰り返されています。その感慨深さは、恐らく青木さん自身が育ってきた近代日本の成長過程と重なり合うところで起きているわけですね。目覚ましい経済成長はあったけれど、その規模以上にとんでもないものを、敵国の空襲ではないのに、破壊してきた過程があった。戦争も含めて「昭和100年」という長い期間にわたって、じっくりとゆっくり破壊してきた歴史があった。

ところが、飯舘村という場所は違った。100年前の暮らしがほぼそのまま残っている部分がある。びっくりしたのは、まだ薪でお風呂を焚いていたんですね。

青木 大久保家はそうでした。自死した文雄さんは、薪で沸かした湯の方が身体が芯から温まるんだと言って、最後までこだわっていたそうです。それに周囲は山々に囲まれていますし、一時は炭焼も手がけていた文雄さんは山林を所有していましたから、エネルギー源としての薪は無尽蔵にある。炬燵の熱源も炭だったそうです。

藤原 一見、古びた方法にみえますが、それがじつはどうみても「合理的選択」だった。目の前の山から調達した薪を使ったほうが、石油やガスを買うより絶対安いし、体も芯からあったまる。そういう暮らしが100年間、ほぼ壊されないであった。稀有なことです。

100年のタームでいえば、飯舘村は、日本が自分で破壊してきた日本列島に残った最後の場所のひとつだったかもしれない。近代への成長過程で、文化がこれだけ破壊される国といえば、韓国も同じですね。周縁の無機質なマンション群は、すべて開発独裁が行われた場所です。そうしたディベロッパーたちの手を逃れ、最後に残された飯舘村という場所が、原発ごときでやられてしまった。もっと言えば、日本近現代史150年分の凝縮した歴史経験を、この102歳の大久保文雄さんが自らの身に引き受けたというように読み取れました。

青木 その通りかもしれません。もちろん、ひとくちに飯舘村といっても実際はさまざまで、近年はオール電化の住宅などもありましたし、薪で風呂を沸かすような家は圧倒的な少数派だったでしょう。ただ、そうした生活もかろうじて残り、息づき、文雄さんと家族は実践者でもあった。それが原発事故で根こそぎ奪われ、文雄さんは自ら命を絶ってしまいました。

藤原 原発事故で村が放射性物質に汚染され、「全村避難」を強いられる見通しになった際、文雄さんがひとりごちる発言を読んだときつらかったです。「ちぃっと長く生きすぎたなぁ。イヤなものを見ちまった」と。この言葉に集約されていると思う。都会生活者にとっての風景とは客体化されたものですが、自分が力を尽くして開墾してつくり上げた風景は、もうこのおじいさんと一体化したものなんですよ。自分の体と切っても切れないものが、目の前で崩壊していくという絶望。きっとそういう感覚があったんだろうなという気がします。