8月6日の「負の記憶」

平和記念資料館に展示された「人影の石」は、訪れる人々に大きな衝撃を与えることになった。原子爆弾の悪魔的な威力を、端的に伝えるモニュメントだからである。

その結果、「座っていた人が一瞬で蒸発して影だけ残った」「座っていた人が強烈な熱線で石に焼き付けられた」などの言説も流布した。被爆した瞬間をまさにそのように表現した映画などもあった。

広島住友銀行の入り口に座っていた人の影が残る 広島平和記念資料館 (写真/Shutterstock)
広島住友銀行の入り口に座っていた人の影が残る 広島平和記念資料館 (写真/Shutterstock)
すべての画像を見る

しかし、人間は有機物なので一瞬で蒸発したり気化することはない、と科学者たちは言明している。その場から人間が消えていたとしたら、爆風で吹き飛ばされたか、遺体が動かされたのであろうと。

他方、峠三吉も詩っていたように「焼き付けられた」という理解はあながち否定できないことが2000年の奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)の調査によって判明した。人影に有機物質が認められたのである。ただし、それが人の皮膚などの生体成分であるかどうかは確定できないというコメントも発表された。

平和記念資料館を訪れた内外の政治家の多くも「人影の石」に言及している。受けた衝撃を作品のモチーフとした内外の詩人や文学者もあった。ひとたび目にしたら、心を去らぬ「負の記憶」なのである。個人的な感慨もあって、私自身もこれまでに「人影の石」を主題に3作を上梓した。

こうしてヒロシマを書くとき、まるで自分の目で見たように蘇ってくる光景がある。親族から繰り返し聞かされた8月6日の「負の記憶」だ。

翳った大気の中から忽然と現れた、人であって人でない、人のかたちをした幽鬼の群れ。生きながら焼かれた人々が川土手をぞろぞろと歩いていく。

「人影の石」が象徴するように、廣島で暮らしていた人々は想像を絶するエネルギーを浴びて犠牲になった。辛くも生き延びた人々は地獄と化した街で彷徨い、歩ける者は郊外へ郊外へと逃げていったのである。大火傷を負って性別すら分からぬ人。飛び出した眼球を手で受けている子ども。黒焦げの赤子を背負った母親。焼けただれた身体に腰紐だけの女性。

髪は突っ立ち、腕を前に差し伸べて手のひらを天に向けている。指先からだらりと垂れ下がっているのをよく見れば、大火傷を負ったためにめくれた皮膚なのだった。

差し伸べた腕に薬罐を掛けている人がいる。やがて力尽きたのか、ぽとりと薬罐を落とす。後に続く人が拾い上げる。力尽きる。捨てる。傷だらけのアルマイトの薬罐に、また手を伸ばす人がいる。また捨てる。そんな一連の光景が、モノクロの無声映画のように延々と目の前を流れていったと。