企業城下町で起きた人災は、水俣の再来

青木 著者を前に話しにくいと思いますが、お読みいただいていかがでしたか。

田中 青木さんが本のタイトルに「百年」という数字を置かれた理由は、この自死なさった方が102歳でいらっしゃったことと同時に、百年の日本を考え直そうというメッセージでもあったと感じました。このことは戦争も含めて非常に重要な提起であるし、この本の本質でもある。

私はこの本を読んで「水俣と同じだ」という印象を強く持ちました。ここで起きているのは、共同体が崩壊していくことと、そこに企業が関わっていること。いずれも共同体の崩壊は自然に起こったのではなく、そこに企業が関わったことで起こったんですね。3・11も水俣も非常によく似ていて、両方とも一つの企業が共同体の暮らしを崩壊させたわけです。

青木 水俣の場合はチッソが、福島では東京電力が。

田中 ええ。新潟水俣病(工場排水によるメチル水銀の被害。1965年に新潟県・阿賀野川流域で発生が確認。発生要因が同じで第二の水俣病といわれる)の場合は複数の企業が関わっていましたが、水俣も福島も一つの企業で、いわゆる企業城下町でもありました。そして企業城下町には宿命的に持っている弱さがある。その企業に勤めている人たちに遠慮して何も言えなかったり、人間関係が複雑になったりと、そういう背景もとてもよく似ていると思います。

私は大学に入ったときに水俣のことを、石牟礼道子さんの『苦海浄土』*で知って非常に衝撃を受けたんです。そこで、最初の胎児性水俣病の方たちが私と同じ年に生まれたことも知って、「私は彼らだったかもしれない」という思いを痛切に感じたんですね。

あのチッソという会社は戦前からあって、朝鮮半島から日本に戻って、量産態勢に入ったためにああいうことになった。企業が何かを量産して資本主義体制下で富を蓄積し、貨幣経済の中で巨大化していく。工場を誘致された土地の共同体の人たちは、最初はそれをありがたいことだと思うわけです。福島も60年代に原発を造るためにアメリカの企業が入ってきますね。

青木 ゼネラル・エレクトリック(GE)社ですね。東電初の原発だった福島第一原発の1号機は、その建設をGEが完全に仕切ったと伝えられ、2号機と6号機の建設もGEが手がけています。

ジャーナリストの青木理氏 (撮影/三好祐司)
ジャーナリストの青木理氏 (撮影/三好祐司)

田中 そう、GEが入ってきて、土地の人たちは、これで出稼ぎに行かなくて済むとみんなで歓迎したといいますね。そういう企業城下町の人々の喜びがある一方で、それが時にどういう結果を生み出すかという現実も私たちは見てしまいました。貨幣経済というものは、気候に左右される農業に比べて盤石なように一時的には思えても、実はそうではなく非常にもろいものだった。そのことに水俣で気づき、今度もまた気がついてしまった。繰り返しなんですよ。

青木 おっしゃる通りだと思いますし、水俣や福島以外でも同じようなことは起きていますね。僕も今作のなかで描きましたが、原発事故で避難を強いられた102歳の大久保文雄さんが自死した後、遺族の美江子さんらは東電の責任を問うて損害賠償請求訴訟を起こしました。その際に代理人を引き受けたのが食品公害や薬害問題の被害支援に取り組んできた弁護士でした。

たとえばカネミ油症事件です。ご存知の通り、1960年代に北九州のカネミ倉庫社が製造販売した米糠油を原因とする食品公害事件で、今なお未認定患者が声を発しています。あるいは薬害エイズ事件。HIVウイルスが混入した非加熱血液製剤の投与で血友病患者にエイズ感染が広がり、1980年代の末から90年代にかけて大きな政治・社会問題と化して刑事事件にまで発展しました。

実はその弁護士さんも自身が血友病患者で、だから食品公害や薬害問題に取り組み、福島第一原発の事故も同じ構図じゃないかと考え、文雄さんの遺族の弁護も引き受けた。いずれも一つの企業が引き起こした惨禍だけれど、背後には国策や政・官・産の癒着などが横たわっていて、だから被害が発生し、拡大し、今なお被害救済がなかなか進まない。特に水俣と福島では、それぞれの地元で人びとが築き守ってきた共同体まで無惨に破壊してしまいました。

*石牟礼道子『苦海浄土』は、水俣病をめぐる代表的作品として、1970年に講談社より単行本として刊行されて以降、編集や形態を変えながら読み継がれてきた。のちに講談社文庫としても刊行され、現在も一冊で通読できる講談社文庫(新装版)が広く流通している。一方、その後、藤原書店からは、第一部「苦海浄土」、第二部「神々の村」、第三部「天の魚」という三部構成を明確にした版(分冊および合本)が刊行され、水俣という場所と思想をより立体的に捉え直す構成が示された。本稿で言及する『苦海浄土』は、これらの刊行系譜を含む作品世界全体を指している。