わずか1票差で大賞に選ばれた『黒い花びら』

大手新聞社の音楽記者会も参加を留保するという逆風の中で、「第1回レコード大賞」は音楽ペンクラブに所属する元新聞記者5名、NHKが3名、民放放送局が各1名、それに「平凡」と「明星」の編集長らの審査によって行われた。

会員の作曲家が一人につき1曲エントリーできるという規約で、対象となったのは過去1年間にレコードとして発表された歌謡曲・歌曲・童謡作品の76曲。

12月14日に行われた第1次予選では20曲が選出され、第2次予選で6曲が大賞候補に絞られた。

『心と心のワルツ』
作詞/松井由利夫 作・編曲/原六朗  歌/朝丘雪路(東芝)
『古城』
作詞/高橋掬太郎 作曲/細川潤一 歌/三橋美智也(キング)
『夜霧に消えたチャコ』
作詞/宮川哲夫 作曲/渡久地政信 歌/フランク永井(ビクター)、
『フルート』
作詞/サトウハチロー 作・編曲/古関裕而 歌/島倉千代子(コロムビア)
『黄色いさくらんぼ』
作詞/星野哲郎、作曲/浜口庫之助 歌/スリー・キャッツ(コロムビア)、
『黒い花びら』
作詞/永六輔 作・編曲/中村八大 歌/水原弘(東芝)

当時のヒット状況からすると、本命は『黄色いさくらんぼ』、対抗が『黒い花びら』という前評判だった。どちらの曲もタイトルに色がついていたので、さしずめ「黄」と「黒」の対決となった。

ところが15日の本選の際に、委員の一人から『黄色いさくらんぼ』について、「面白い曲だが、エロ味があるので社会的影響を考慮して選考の対象から外したい」という発言が出された。

1950〜60年代に人気を博した女性ヴォーカル・グループのスリー・キャッツ。写真は『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(日本コロムビア)のジャケット
1950〜60年代に人気を博した女性ヴォーカル・グループのスリー・キャッツ。写真は『スリー・キャッツのセクシイ・ムード』(日本コロムビア)のジャケット

それによって候補から除外されるという出来事が起こる。次に『黒い花びら』はロカビリーだから外すべきだとの意見が出されたが、「ジャズでもロカビリーでも、いい曲ならかまわない。むしろ新しい歌謡曲を生んだ点を買いたい」という反対意見も出た。

水原弘のハスキーな声と低音の魅力、それら支えるジャズメンたちの迫力ある演奏は、それまでの日本の歌謡曲にないものだった。

そこから侃々諤々の討議が繰り返された末に、最後まで残ったのが、『夜霧に消えたチャコ』と『黒い花びら』の2曲だった。そして決選投票が行われた結果、わずか1票差で『黒い花びら』が選ばれたのである。

魅惑の低音を武器に歌謡界に新風を吹き込んだ人気歌手のフランク永井。写真は『日本の流行歌スターたち(1) フランク永井 有楽町で逢いましょう~追憶の女』(2019年1月9日発売、VICTOR ENTERTAINMENT)のジャケット
魅惑の低音を武器に歌謡界に新風を吹き込んだ人気歌手のフランク永井。写真は『日本の流行歌スターたち(1) フランク永井 有楽町で逢いましょう~追憶の女』(2019年1月9日発売、VICTOR ENTERTAINMENT)のジャケット

12月27日の夜、東京・文京公会堂では「第1回日本レコード大賞」の発表会が開かれた。出席した中村八大の記憶では「200人くらいだったかな」という客の入りで、客席は閑散としていた。表彰式後に催された祝賀会は、会場前にあった喫茶店で、紅茶とケーキで歓談するというささやかなものだった。

『黒い花びら』によって脚光を浴びて作詞の仕事を手がけることになった無名人、永六輔は後にこう語っている。

「第1回というのは普通、権威のあるものを選んだりするでしょ。全く無名人たちのものをトップにしたのはエライというか、審査員の良識だったと思うんです」

”審査員の良識”によって選ばれた、日本で最初の3連符ロッカバラード『黒い花びら』が受賞後に大ヒットしたことで、レコード大賞は一躍その名を知られることになった。

作曲家の中村八大と、作詞家の永六輔はコンビを組むことになり、4年後に二人による『上を向いて歩こう』(歌/坂本九)が、『SUKIYAKI(スキヤキ)』というタイトルになって全米チャートの1位になり、世界中でも大ヒットした。

『上を向いて歩こう』は永六輔作詞、中村八大作曲。アメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたのは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より
『上を向いて歩こう』は永六輔作詞、中村八大作曲。アメリカで『SUKIYAKI』と呼ばれ、ビルボード・チャート1位に輝いたのは1963年6月15日だ。写真は2023年6月発売された『THE BOX of 上を向いて歩こう/SUKIYAKI』(UNIVERSAL MUSIC)より
すべての画像を見る

そして、対決から外された『黄色いさくらんぼ』はレコード大賞を逃したものの、この大ヒットで脚光を浴びた浜口庫之助は売れっ子作曲家になり、日本の音楽史に残る名曲を数多く世に出していく。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

TAP the POP Anthology 音楽愛 ONGAKU LOVE Volume One
TAP the POP (著), 中野充浩 (著), 佐藤剛 (著), 五十嵐正 (著), 宮内健 (著), 阪口マサコ (著), 佐藤輝 (著), 佐々木モトアキ (著), 長澤潔 (著), 石浦由高 (著)
TAP the POP Anthology 音楽愛 ONGAKU LOVE Volume One
2025年11月30日
2,970円(税込)
14.81 x 2.95 x 21.01 cm
ISBN: 979-8276212906
〜「真の音楽」だけが持つ“繋がり”や“物語”とは? この一冊があれば、きっと誰かに話したくなる〜 「音楽が秘めた力を、もっと多くの人々に広めたい」 「音楽が持つ繋がりや物語を、次の世代に伝えたい」 そんな想いを掲げて、2013年11月にスタートした音楽コラムサイト『TAP the POP』(タップ・ザ・ポップ) 。本書は今までに配信された約4,000本のコラムから、140本を厳選した「グレイテスト・ヒッツ第1集」的アンソロジー。 TAPが支持するのは、楽曲に時代や世代の風景、試行錯誤が息づいているもの。アーティストやソングライターに、出会いや影響、美学が宿っているもの。そのような音楽には単なる流行やヒットを超えた、人の心を前進させる力や救済する力があるからです。 「大切な人に共有したい」「あの頃の自分を取り戻したい」「音楽をもっと探究、学びたい」……音楽を愛する人のための心の一冊となるべく、この本を作りました。どのページにも「⾳楽愛」が満ち溢れています。 この⼀冊が、物事について深く考えさせてくれるきっかけとなり、静かなる興奮と感動となりますように。⾳楽の旅路へようこそ。
amazon