感動の初共演から二か月後の訃報に…
──矢部さんは学生時代、いじめにあいながらも中山美穂さんに憧れ、芸能界を目指したと伺いました。昨年12月の訃報をきいた際、どのような思いでしたか。お話しできる範囲で聞かせてください。
ニュースが流れてきた時は「嘘でしょ…」と。とても現実とは思えなくて……。しばらく受け入れられなくて、悲しいはずなのに最初は涙も出なかったです。
私が中山美穂さんの大ファンだと知っている友人からは「美穂ちゃん大丈夫?」と、ものすごい数の連絡が来ていました。共演させていただいた『アウトデラックス』の収録日が9月12日だったので、そこからまだ3ヶ月も経っていなかったですから…。
──それは大変お辛かったと思います。
今年4月にお別れ会があったのですが、タレントとしてではなくファンとして一般の献花台に並びました。妹の中山忍さんが、昼前から夜8時くらいまで、1万人以上の方全員に挨拶をされていました。
忍さんは私が列に並んでいたのを見て驚かれていましたが、忍さんのお顔を見た瞬間、もう号泣してしまって…。「最後に美穂さんと共演できてよかったです」とお伝えしたのですが、もう泣きすぎてしまって、うまくお話しできませんでした。
6月18日に行われた中山美穂さんのデビュー40周年コンサートでは、NHK出演時の貴重な映像や、バンドの生演奏によるライブで偲んだのですが、いらしていたお客様から「矢部さんは本当に中山美穂さんのファンなんですね。嬉しいです」と声をかけていただいて。
そのときに、恐れ多いながらも、「中山美穂さんの歌を繋げていきたい」という思いが込み上げてきたんです。
──来年4月5日には、中山美穂さんに捧げたファーストライブを行われるとか。
中山忍さんのメッセージの中に、「カラオケへ行ったら姉の歌を歌ってほしい。姉を身近においてもらいたい。忘れないでほしい」という言葉がありまして、私はこの言葉を大切にしていきたいと思ったんです。
私は学生の頃から、中山美穂さんがいたから、いじめにあっても救われてきましたし、ここまでやってこれたと思っているんです。
恩返しじゃないですが、私に何かできないかと考えたとき、恐縮ながらも私がライブをやることで、中山美穂さんの歌を繋いでいけたらと思ったんです。













