お金持ちになりたい欲は不安の裏返し
10代ぐらいの頃は、僕も人並みに「欲しいものがあるのに、いまの貯金じゃ足りないなぁ」と思っていた。だからといって、別にお金持ちになりたいとは考えなかった。欲しいものが手持ちのお金では買えない。それは制限要因の理屈であって、お金持ちになりたい! という意欲とは、切り離されているものだ。
自分は物欲が人よりも薄いと気づいたのは、大学に入ってからだ。先輩からは、「堀江は本当に人の心を持っていないな。シヴァ神みたいだ」と言われた。褒め言葉なのかどうか微妙だったけれど、僕の物欲無さは、一般的な若者としては異質だったのだろう。
20代の初めにはすでに、お金欲しい! の呪縛から完全に解放されていた。お金にマインドシェアを奪われず、やりたいことを全力投球でやりきる人生を他の人より早くスタートできたので、幸運ではあったと思う。
金持ちを目指すというスタンスは、いま主流になりつつある評価経済社会では、ひどく損をする。
別に金持ちを目指す生き方を全否定しようとまでは思わないけれど、そんなヤツはモテない。
どんなビジネスを手がけようと、どんな発信をしようと、モテない。稼ぎの総量は、限定的だ。
お金持ちなんて目指さず、「あいつと一緒にいたら何だか面白い!」と言われる、行動的な人生を選んでほしい。結果的に、お金にとらわれない、マネーフリーな人生を過ごせるようになるだろう。
お金持ちになりたい欲は、不安の裏返しだ。
豊富な資産が、もしものときや、働けなくなったときの不安を、解消してくれると信じている。仲間や恋人に恵まれるためには、お金持ちになるのが早道だと思いこんでいる。ある意味では間違いではない。お金は、多少のトラブルや不安を解消してくれる役割も果たしてくれる。
だがそこに、何に使うか? 何をしたいのか? という、本質的な問いが欠けていたら、いつまでも不安は消えない。何億円貯金しても、不安に怯えているはずだ。
やりたいことに、真剣にハマッていれば、お金の不安は消えるものだ。ハマりきれない自分の中途半端さを、お金持ちになるためという言い訳でごまかしてはいけない。不安を消せるのは、思考の密度だ。貯金通帳の残高の多さではない。













