「俺たちは軽く見られているんだな」
公明との連立協議がまとまる前から国民民主の取り込みに走ったことも公明側を怒らせた。
「俺たちは軽く見られているんだな」
これまで政策的な距離が生じても最後は自民に譲歩を重ねた公明党。
「踏まれて蹴られても ついていきます下駄の雪」
どんなに対立しても最後は公明がベタ降りする。そんな姿を揶揄する言葉も永田町ではときおり出回るほどだった。しかし、今回は違った。
これまで水面下で自公関係を支えたパイプ役が不在の新しい党執行部体制、政治とカネのスキャンダルを受けても政治資金の規制強化に後ろ向きな政治姿勢、そして公明をスルーしての国民民主との連立協議。堪忍袋の緒が切れて離婚届を突きつけた、というのが真相だろう。
加えて、こうした表の動きと連動して、自公連立の「根幹」が崩れていたことが本当の崩壊理由として挙げられる。
それは「選挙協力の機能不全」だ。そもそも自公連立は1999年に始まった。その前に平成の政治改革でそれまでの衆院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制へと変わった。
小選挙区では一つの選挙区から一人しか当選しない。一つの選挙区から3~5人と複数人が当選する中選挙区なら公明党単独でも当選可能だ。
「選挙=信仰心の証し」なのに負けたら意味ない
しかし、小選挙区制では一人しか当選しないので、大政党に太刀打ちできない。そのため、小選挙区では全国289のうち公明は擁立を11に抑え、残り278選挙区では自民を応援する相互推薦と、バーターで自民から公明に比例票を回してもらう、という選挙協力を前提にしたシステムが機能してきた。
ところが、自民党の旧安倍派など派閥を起点にした政治資金規正法の不記載問題、いわゆる「裏金」事件によって自公連立への信頼は失墜した。昨年秋の衆院選では自民党が惨敗したが、公明も11選挙区のうち、石井啓一代表を含む7選挙区で落選した。
代表まで落選させたことに公明・学会内には衝撃が走った。その後の今年6月の都議選、7月の参院選と連戦連敗を重ねる。
公明にとって選挙は「会員にとって信仰心の証しであって、宗教団体にとって『勝利の証し』になっている」(学会幹部
1999年に自公連立を組んで、2005年には比例で900万票まで躍進した。それが昨年の「裏金事件」以来、急降下し、公明の比例票は500万をやっと超える程度まで低下した。もちろん、会員の高齢化なども無関係ではない。