レコードデビューが決まった時に作成された簡単な資料の中には…
初めて森田童子に会ったのは、1975年10月のことだ。大学を出て音楽業界で働くようになり、主にフォークやロックの分野で原稿を書き始めていた当時、私はまだ23歳だった。
『さよならぼくのともだち』というシングル盤で、レコードデビューすることになった森田童子は、私と同じ1952年の生まれで、誕生日は1週間しか違わなかった。しかも小劇場の演劇などに関わって音楽の道に入ってきたところも、やや共通していた。
だが、事前にレコード会社から渡されていたテスト盤のレコードを聴いて、あまりに繊細で壊れもののような印象を受けて、取材するのがいささか億劫に思えたのも事実だ。
レコードデビューが決まった時に作成された簡単な資料の中には、彼女が歌で伝えたい思いがこのように記されていた。














